サイトメニューここからこのページの先頭です

ショートカットキーの説明を開始します。画面遷移や機能実行は、説明にあるショートカットキーを同時に押した後、Enterキーを押してください。ショートカットキーの説明を聞くには、Alt+0。トップ画面の表示には、Alt+1。ログインを行うには、Alt+2。簡易検索画面の表示には、Alt+3。詳細検索画面の表示には、Alt+4。障害者向け資料検索画面の表示には、Alt+5。検索結果の並び替えを行うには、Alt+6。国立国会図書館ホームページの表示には、Alt+7。検索結果の絞り込みを行うには、Alt+8。以上でショートカットキーの説明を終わります。

ナビゲーションここから

ナビゲーションここまで

本文ここから

資料種別 国立国会図書館刊行物

佐佐友房関係文書目録

国立国会図書館参考書誌部 編

詳細情報

タイトル 佐佐友房関係文書目録
著者 国立国会図書館参考書誌部 編
著者標目 国立国会図書館参考書誌部
シリーズ名 憲政資料目録 ; 第6
出版地(国名コード) JP
出版地[東京]
出版社国立国会図書館
出版年 1969
大きさ、容量等 99p ; 21cm
JP番号 73003857
出版年月日等 1969
件名(キーワード) 佐々, 友房, 1854-1906
Ajax-loader 関連キーワードを取得中..
件名(キーワード) 日本--政治--歴史--明治時代--史料
NDLC GB5
NDLC GB415
NDC 312.1
対象利用者 一般
資料の種別 図書
資料の種別 国立国会図書館刊行物
言語(ISO639-2形式) jpn : 日本語

目次
 

  • 佐佐友房関係文書目録
  • 目次
  • 書翰の部
  • 国の礎〔書翰集〕 一
  • 安部井磐根書翰 一
  • 安達謙蔵書翰 一
  • 愛甲義実書翰 一
  • 赤羽四郎書翰 二
  • 秋保親兼書翰 二
  • 青木周蔵書翰 二
  • 青山朗書翰 二
  • 新井毫書翰 二
  • 朝比奈知泉書翰 二
  • 浅野長勲書翰 二
  • 荒尾精書翰 三
  • 朴泳孝書翰 三
  • 後藤新平書翰 三
  • 浜地八郎書翰 三
  • 鳩山和夫書翰 四
  • 林権助書翰 四
  • 平田東助書翰 四
  • 土方久元書翰 四
  • 本多政以書翰 五
  • 星亨書翰 五
  • 穂積八束書翰 五
  • 古荘嘉門書翰 五
  • 飯田熊太書翰 六
  • 伊集院大佐書翰 六
  • 伊集院彦吉書翰 六
  • 池辺吉太郎書翰 六
  • 井上毅書翰 七
  • 井上第五郎書翰一〇
  • 井上馨書翰一〇
  • 伊藤博文書翰一〇
  • 伊東巳代治書翰一〇
  • 海江田信義書翰一〇
  • 鎌田景弼書翰 一一
  • 嘉納治五郎書翰 一四
  • 狩野直喜書翰 一四
  • 柏田盛文書翰 一四
  • 片岡健吉書翰 一四
  • 桂太郎書翰 一四
  • 木村弦雄書翰 一五
  • 木下広次書翰二〇
  • 木下宇三郎書翰二〇
  • 北垣国道書翰 二一
  • 北村信篤書翰 二一
  • 清浦杢吾書翰 二一
  • 児玉源太郎書翰 二一
  • 小松原英太郎書翰 二二
  • 神鞭知常書翰 二二
  • 近藤廉平書翰 二二
  • 近衛篤麿書翰 二二
  • 陸実書翰 二二
  • 国友昌書翰 二三
  • 国友重章書翰 二三
  • 牧相愛書翰 二四
  • 丸山作楽書翰 二四
  • 益田孝書翰 二四
  • 松平正直書翰 二四
  • 松本豊次郎書翰 二五
  • 松崎〓迪書翰 二五
  • 薬袋義一書翰 二六
  • 箕浦勝人書翰 二七
  • 三浦梧楼書翰 二七
  • 守田愿書翰 二七
  • 元田肇書翰 二七
  • 元田永孚書翰 二八
  • 宗方小太郎書翰 二九
  • 陸奥宗光書翰 二九
  • 長岡護美書翰三〇
  • 中江篤書翰三〇
  • 根津一書翰三〇
  • 野田寛書翰三〇
  • 大東義徹書翰 三一
  • 大井憲太郎書翰 三一
  • 大石正巳書翰 三一
  • 大岡育造書翰 三一
  • 大浦兼武書翰 三二
  • 岡本源次書翰 三二
  • 小崎義明書翰 三四
  • 佐佐干城書翰 三四
  • 斉藤修一郎書翰 三四
  • 沢村脩書翰 三四
  • 柴四朗書翰 三四
  • 渋沢栄一書翰 三四
  • 紫藤寛治書翰 三五
  • 重野安繹書翰 三六
  • 白木為直書翰 三六
  • 品川弥二郎書翰 三七
  • 白根専一書翰 四三
  • 曾祢荒助書翰 四四
  • 末松謙澄書翰 四四
  • 庄友吉左衛門書翰 四四
  • 高原淳次郎書翰 四四
  • 高橋泥舟書翰 四六
  • 高崎正風書翰 四六
  • 高島靹之助書翰 四六
  • 武富時敏書翰 四六
  • 竹添進一郎書翰 四六
  • 谷干城書翰 四六
  • 寺島宗則書翰 四七
  • 徳久恒範書翰 四七
  • 徳富猪一郎書翰 四八
  • 徳丸作蔵書翰 四八
  • 富岡敬明書翰 四八
  • 友枝圧蔵書翰 四八
  • 頭山満書翰 四九
  • 津田静一書翰 四九
  • 内田康哉書翰 五四
  • 内田雄蔵書翰 五四
  • 宇都宮太郎書翰 五五
  • 山田信道書翰 五五
  • 山県有朋書翰 六三
  • 山口素臣書翰 六四
  • 山川浩書翰 六四
  • 山畔止戈書翰 六四
  • 矢野文雄書翰 六五
  • 安場保和書翰 六五
  • 八代六郎書翰 六七
  • 横井時雄書翰 六七
  • 渡辺洪基書翰 六七
  • 金峰山人書翰 六七
  • 佐佐友房書翰草稿 六八
  • 石坡大院君書翰 六八
  • 書類の部
  • 明治新政関係 六九
  • 憲法関係七〇
  • 政治一般 七一
  • 紫溟会関係 七二
  • 国権党関係 I II 七七
  • 国民協会関係 I II 七七
  • 国民同盟会関係八〇
  • 条約改正関係 I II 八一
  • 朝鮮関係 八三
  • 中国関係 八四
  • 西南戦争関係 八五
  • 教育関係 八七
  • 日記、手帳 八九
  • 紀行 八九
  • 詩文稿九〇
  • 佐佐友房辞令、通達類 九二
  • 佐佐友房衆議院議員之証・当選証書 九三
  • 写本、雑 九三
  • 付、略年譜 九五
  • 書翰の部
  • 一、 国ノ礎〔書翰集〕
  • 注、各発信者ノ項ニ重出(→国上又ハ国下)ト示ス
  • 上巻 山川浩二通 浅野長勲一通 山田信道四通 元田永孚五通 井上毅二通 梅江田信義一通 谷干城一通 長岡外史一通 高原淳次郎一通
  • 下巻 元田永孚九通 津田静一一通 高原淳次郎一通三浦梧楼二通 谷干城一通 井上毅一通 山川浩三通
  • 二、 安部井磐根書翰
  • 1 明治二六年一一月一六日 唯今帰京神鞭一行トハ静岡ニテ別ル 先日来御心配ノ二ケ所トモ上出来
  • 2 明治二六年一二月一六日 (佐々・神鞭宛)一両日微恙ニテ出勤叶ワズ 千鳥号ノ件気ガカリ高橋氏ヘ断リ乞ウ 大竹 氏申分理由アラバ其機逸スベカラズ
  • 3 明治 年九月二二日 今朝例ノ一件ノ為坂本同道三田邸訪問 所勤中ニテ会ワレズ
  • 4 明治 年一二月二二日 (佐々・和田宛)例ノ一条楠本ヘ問合セノ結果二九日ハ参院ノミニテ議事日程ハナシ
  • 三、 安達謙蔵書翰
  • 1 明治二八年一〇月一五日八日韓廷ノ変動詳報 露公使ノ行動三浦公使地位ノ保持
  • 2 明治 年四月一〇日 肥後育英会ヲ奨学会ニ合併スルハ困難 井芹・野田ト相談ノ結果 各郡独立ノ育英会ニ改変ナラバ我計画ハ看破サレマジ 各郡分立セバ奨学会ヘ地方税補助容易トナルベシ
  • 大正九年二月一五日 (佐々静子宛)信一様身上ニ関シ逓相書翰別封ノ通リ 付、安達宛野田卯太郎書翰二月一四日付 →F
  • 四、 愛甲義実書翰
  • 1 明治 年三月二一日 台湾総督府陸軍一等軍医正藤田嗣章出京ノ途次面会希望ニツキ紹介
  • 五、 赤羽四郎書翰 〓(カ)
  • 1 明治三三年八月三日 青木氏ヘ委曲覆命 李鴻章ヘ返詞小田切領事ヘ申送リタリトシテハ如何 島津忠亮
  • 六、 秋保親兼書翰
  • 1 明治二九年三月二〇日 玉作感佩 次韵供覧
  • 七、 青木周蔵書翰
  • 1 明治三〇年一二月二五日 昨日帝国ホテルヘオ訪ネノ由多謝 老生青山ニ寄宿 時々那須ニアリ明後日モ出向予定
  • 明治三三年一月二七日 御病気如何 高橋来ラズ 高嶋来リ韓地ニテ企図ノ大要ヲ聞ケリ 京釜鉄道建議渋沢・竹内 綱斡旋自由党ヨリ提出ノ手筈 竹内ヘ貴兄ト相談スベキヨウ申置ケリ →F
  • 八、 青山朗書翰
  • 1 明治 年一二月二五日 親隣義塾ノ件ニテ東邦協会ヘ出席 募金不成績
  • 九、 新井毫書翰
  • 1 明治 年一月二〇日 帰県ノ上県地ノコト手配 火海先生ト商議ノ上帰府 佐伯ヨリオ聞取リアラン 平田ヘ面 会 群馬地方漸次好運 朝比奈知泉書翰
  • 明治三四年 月 日 佐々克堂トハ同時ニ欧州ニ遊ビ彼ノ地ニ於イテ度々邂逅交游セリ 帰途君ハ韓国ヲ訪イ成
  • ルトコロノ詩律篇 吾レハ欧西ヲメグリ一句ヲ得ズ漸愧ノ至リ →F 浅野長勲書翰
  • 明治二二年八月一六日一八日ノ大懇親会ハ五団体カラ成ルト承知セリ 県地ヨリ石川完治・長屋謙二上京五団体 中政友会加名方取計イ乞ウトイウ →国上
  • 一〇、 荒尾精書翰
  • 1 明治二一年九月八日 松田托書拝見 宗方帰省有志ノ関心増大ノ由 対清貿易開業ノ渡航中止ハ遺憾 貴会実業部
  • ヨリ代表派遣アリタシ
  • 2 明治二六年一月一七日 大谷嘉兵衛大奮発 出品取扱所モ承諾カ 郵船特約ノ大要 特別ノ優待ニ感激
  • 明治二六年二月一日 行政部トノ衝突以来繁忙ナラン 小生事業都合ヨク正金銀行トノ特約成立五港出品物取扱 所無手数料ニテ承諾 日清貿易拡張上ノ機関確立前途有望 →F
  • 3 明治二八年五月二九日 小生渡航来月中旬 露東洋ニ兵備拡張ノ理由一ハエジプト進出ニ関シ対英策 又ハ台湾島 還付等ノ後押シナルベシ 地方官会議紛々ノ由
  • 明治二九年一〇月一〇日 近頃ノ政変面白シ実情如何 愚考ニテハ在野ノ策士薩・伊藤・大隈三者ニ持チカケテ欺カレ 新内閣ノ将来大隈ノ手中ニアラン 大隈ノ意図 →F
  • 4 明治 年一一月四日 昨夜ノ依頼都合如何 奔走調達ナオ一三〇程必要 朴泳孝書翰
  • 明治 年八月三〇日 贈品添書 →F
  • 一一、 後藤新平書翰
  • 1 明治二八年一月一八日 神戸水道補助費議案提出ノ件ニツキオ目ニカカリタシ
  • 明治二八年一月二一日 神戸市水道補助費建議案ニ賛成願ウ 自分神戸市ト関係ナケレド国家衛生上必要 昨年第二 師団ガ飲用水徴発セルハ未曾有ノ奇談 建議案ニ国民協会ノ賛成ヲ得タイ →F
  • 三、 浜地八郎書翰
  • 1 明治三八年一一月一二日 金剛経一句染筆依頼
  • 2 明治三八年二月一五日 金剛経文言再報 鳩山和夫書翰 〓(カ)
  • 明治二五年一月一一日 懇談会開催元田共ニ出席乞ウ →F 林権助書翰
  • 明治年一〇月二八日 明後夕出発前ニ訪問希望 →F
  • 三、 平田東助書翰
  • 1 明治三三年三月一七日 松平ハ適任ナレド内海ニ内定 岐阜ニ得ル一椅ニ田中貴道ヲ充テン 御兼約ノ方ハ小松原ヨ
  • リ内談アルベシ 野山ノ件藤田・原ヨリ聴取アレ 〓(カ)
  • 明治三三年三月一七日 新政党ハ御承知ノ事情アリ首相モ心配 倶楽部説ヲ唱エ置ケリ 右様ノ運ビトナルハ遺憾
  • コノ件ニツキ松平・大浦ト御相談イタシタシ →F
  • 2 明治三三年五月二五日 先刻打合セノ続キ首相ヘ申入レ二八日官邸ヘ来訪アレ
  • 3 明治 年二月九日 藤田意見書落手 台湾塩業ニ対シ所見ヲ述べシコトアリ藤田ニ面談スベシ 大学ノ件内議成 功ノ見込ナシ
  • 4 明治 年四月一三日 首領問題判明次第報ズベシ 自由党申込ミ拒否ノ外ナシ 街鉄未決局次回ニ落着スベシ
  • 明治 年五月二九日 修正派ノ模様如何 自由党ノ心事如何 佐々木等ニ大義ニヨリ修正ニ同意セヨト申含メタリ 見込ミナケレバ原案賛成ニトドメサスベシ 大勢御報乞ウ →F
  • 5 明治 年一一月八日 申越ノ通ニテヨロシ五十嵐来話中 風邪ニテ出発イタシ難シ 金員ハオ屈ケスベシ
  • 一四、 土方久元書翰
  • 1 明治三三年三月一一日 山田信道君大病ノ由 見舞参上イタスベキトコロ妻発病ニテカナワズ伝言ヲ乞ウ
  • 明治三三年三月一一日 山田君危篤ノヨシ 有功ノ人ナレバ特典ノ沙汰アルベキモ田中宮相ソノ模様聞カズトイウ 内閣・宮相ヘ相談然ルベシ →F 本多政以書翰
  • 明治三二年四月一九日 出京中ノ礼状 →F 星亨(星亨・重野謙次郎・鹿島秀麿連名)書翰 〓(カ)
  • 明治二八年二月九日 国立銀行延期法案貴族院通過ニツキ懇談会開催
  • ソノ後祝勝会ニイタスベク出席乞ウ →F
  • 一五、 穂積八束書翰
  • 明治三二年七月二一日 貴族院拝命ノ祝辞感謝 →F
  • 1 明治 年四月二九日 明年度予算会議ノタメ参上日延ベイタシタシ
  • 一六、古荘嘉門書翰 一八四〇ー一九一五 木下〓村門 紫溟会 第一高等中学校長 衆議院議員三重・群馬各県知事 貴族院議員
  • 1 明治二七年七月二〇日 大石入手ノ外務辺極秘情報ニヨレバ首相ハ表面強硬裏面ニ李中堂ト連絡西洋各国ノ仲裁ヲ希 望三田伯ノ懸念 牙山ノ兵ヲ挑発スル外ハナシ 高島中将等ハ彼ノ沈惟敬ノ術中ニ非ザル
  • 2 明治二七年七月二二日 海相・川上ハ支那出兵ヲ待チ開戦ノ意 松方・黒田ハ支那出兵セズ我レヨリ挑発セヨノ意 首相ハ戦ニハ順序アリトナス 衰韓地ヲ去リ朝鮮我カ要求ヲ拒絶支那不出兵ト形勢非ニシテ 大鳥公使ノ責メニテ収拾ノ意ナキヤ 最早ヤ出先ニテ牙山ノ兵ヲ挑発事ヲ発スル外ナシ 高 島・樺山何処ニ在ルヤ
  • 3 明治 年二月一五日 伊藤侯爵太神宮参拝ノタメ帰県 参拝ニ同行伊藤ノ論ニ刺激サル三重県候補者ハ群馬ノ須 藤ト一体ノ者ナレバ金使ウベシ 速水熊太郎ヘ見込ミ話サレタシ
  • 一七、 飯田熊太書翰一八二三ー一八九六 友房叔父 時習館訓導 済々〓長
  • 1 明治 年一月一〇日 昨日オ話ノ件出発ニ際シ議決ノヨシニテ御多忙ナラシ
  • 2 明治 年七月五日 出産祝
  • 3 明治 年七月三〇日 礼状近状消息
  • 4 明治 年一〇月三日 時候挨拶
  • 一八、 伊集院大佐(伊集院大佐・河原大佐連名)書翰
  • 1 明治二九年三月一二日 宗像書翰西郷大臣・伊東軍令部長閲覧済 都合三通届ケ 伊集院彦吉書翰
  • 明治三八年一二月六日 渡清ノ折ハ失礼 尊影御送付感謝 →F
  • 一八六三ー一九一二 号三山 吉十郎長子 国友昌ニ学ブ 慶応義塾 「経世坪論」創刊
  • 一九、 池辺吉太郎書翰 日本新聞客員 大阪朝日新聞主筆(明二九) 後東京ニ転ズ
  • 1 明治二九年八月一八日 内閣恐慌一条流布 渡辺大蔵大臣ノ辞職「日本」ニ掲載 大勢山県ハ不充分井上熱心大隈ヘ
  • ハ行届カズ 渡辺辞職ヲ契機ニ転回セン 品川ニ面会心細キ模様
  • 2 明治四五年二月一日 (佐々夫人宛)法事案内状
  • 明治 年一〇月二一日 明日大浦ニ集マリノ節説ノ出処加エラレタシ 自分名前モ加エラレタシ 浜廼屋連騒ギ心当
  • リアリ明夕申上グベシ 明日中桂方面申含メクダサレタシ →F
  • 3 年一月二四日 (佐々信一宛)来吊御礼
  • 二〇、 井上毅書翰
  • 1 井上梧陰書翰一 〔内容明細ハ左記ニ(→梧陰一)ノゴトク示ス〕
  • 2 井上梧陰書翰 二
  • 3 井上梧陰書翰 三
  • 明治一四年六月一八日 木村弦雄一昨着京 琉球粟盛進呈 交詢社憲法案借覧乞ウ →梧陰一
  • 明治一八年一〇月四日 国友同行伊香保ニ遊ブ「奢是吾敵論」贈呈高評乞ウ →梧陰二
  • 明治一九年二月二三日 内務卿八二六日沖縄行ニツキ面会不能 西村ヨリ断リ来リ山田ヘ依頼無用 →梧陰一 〓(カ)
  • 明治一九年七月一〇日 将来経済ノ変化ハカリ難シ 練熟ノ人物ト交ジワリ探知迅速タルベシ七朱利公債買却シ土 地買入レヨロシ 安場ト相談アレ 安場鉄道物ニナルナラ小倉脇ノ土地ヨロシキカ 右等新 報掲載ハ無用 木村負債ナク進退自由ナリ 安場面会仔細ハ白木ノ外他言無用 経済上ノ競 争ハ人ヲ得ルト機密ト時機ヲ失ワザルニアリ →梧陰二
  • 明治一九年八月二七日 済々〓改革案成山公子ヘ郵送
  • ソノ後東京二三子廻覧更ニ安場・山田ヘ伝送スベシ 矢野文 雄周遊雑記送呈 国体論ヲ除キ卓見ニ敬服 今後書信ニハ番号ヲ付スルコトトセン 長崎事 件ハ小児ノ喧嘩ニ類ス →梧陰一
  • 明治一九年九月四日 (佐々・白木宛)学校改革案ハ従四位公異存ナシ 増田危篤遺族養育ノコト 支那・朝鮮ノ
  • コト根本立タズ騒ギ立ツルハ不得策 矢野文雄ノ周遊雑記ノ沈着コソ肝要ナレ →梧陰 二
  • 明治一九年九月一二日二号 友枝諷諭無根ナリ二宮清徴死亡ノ件 前一書発信ノヨシナレド未着 徳富ト面話 長崎事件ハ騒ギ立テヌガヨシ →梧陰一
  • 明治一九年一〇月一一日四号 矢野文雄来訪ノ伝言徳富ヨリアリ 徳富ハ改進党中ノ錚々 面会ノ節無遠慮ニ話オケ
  • リ 帰県後何トイウカ裏聞キ願ウ 彼ヨリ面会ヲ求ムルカモ知レズ 彼レハ凡物ニ非ズ 森
  • ノ愛国熱心ハ感服 済々〓一条困却二三年迄持続カ高等中学ニ変更カ 高等中学ハ敷地・ 建物地元引受ケトイウ 此費県会又ハ有志ニテ見込ミアリヤ
  • ソレニヨリ森ヘ交渉スベシ →梧陰一
  • 明治一九年一〇月一七日五号三号別紙拝受 津田著書ノ概略ハ一覧後古荘ニ廻セリ 国友ノ意見ニテハ熊本ト違イ 世ノ大勢ハ主権論ヨリ経済論ニ移レリ
  • サレバ此ノ書ノ出版ハ世ノ感触ヲ受ケマジトイウ 前便照会ノ学校ノ目途至急答示ヲ待ツ →梧陰一
  • 明治一九年一一月六日 済々〓甲説ニテハ二二年九月マデノ資本ニ過ギズ一層ノ節減ヲ加エ二三年半バマデ持続ノ 要アリ 高等中学ノコト県知事ヨリ師範校長千田ヲ以テ文部省ヘ問合セト聞キ 自分千田ニ 文部ノ意向ヲ伝エオケリ 済々〓生徒上京ノ者漢書ニ長ジ普通科ニ拙 中外雑居ノ将来何人
  • モ洋語必要 →梧陰二
  • 明治二〇年一月三日一月中ニ森其地着済々〓ノ体操ナド一覧ニ入レ 沿革県トノ関係将来ハ中学校ニスル話アリ
  • タシ 高等中学ノ方ハ県会ノ建議ニヨル外ナキ事情オ話シアレ →梧陰二
  • 明治二〇年一一月六日 (佐々・保村宛)白木君ノ計哀痛ニ堪エズ香花料同封 飛電ノ趣元田ト相談 困難ノ見込
  • ミ中凶報着シタレバ其儘トセリ →梧陰二 〓(カ)
  • 明治二二年八月二六日 御注意感謝 今更慌テルモ及バズソノ方が諸君ノ為ニモ良カランカ
  • コノ辺ニテ一区切リツ
  • ケルツモリ 条約中止ノコトニツキ警察ニ内諭アリタル模様 大兄自重アレ 熊本少年輩沈 着ヲ要ス 壮年会廃止スベシ →梧陰二 〓(カ)
  • 明治二二年一〇月四日 御内示拝謝 新シイ情報ナシ →国上
  • 明治二二年一〇月一一日 廉藺調和ノ計ハ国家問題ヲ尋常政論スルモノ効果ナシ
  • コノ上薩長党派論トナラザルヨウ手
  • ヲ出サヌガヨシ 後藤・副島アテニナラズ 品川ヨリ御聞キノコトハ元田ノ外他言無用 →国下 〓(カ)〓(カ)
  • 明治二二年一〇月二三日 御掛念無用
  • コノ上ハ鎮静第一 元田門前雀羅ヲ張ラシムルコト肝要 方々着手必要ナシ →国上
  • 明治二四年一月二九日 逗子ニ廻リ平田見舞ニツキ本日ハ失礼 →梧陰三 〓(カ)
  • 明治二五年二月一九日 (佐々・古荘宛)九州好結果メデタシ 白井面会五十嵐・佐藤上京ノコト催促 古荘御出発
  • ナラン 熊本団結ノ計急グベシ 巴倶楽部・独立倶楽部トモ手ニ付ケオクが良ロシ 宣言書
  • コト経世新報ニ論ゼシ通リ必要 →梧陰三 〓(カ)
  • 明治二五年六月二五日 古庄・清浦ヘ面会近事承リ 諸君尽力ノ結果好運ニ至ランカ 安場ノコト清浦ノ答ハ政党ノ 人トナラバ第三位ニ落ツルハ残念トナリ 必要ナレバヤムヲ得ヌ →梧陰三 〓(カ)
  • 明治二五年八月一八日 今晩西遊発途ノヨシ品川ヘヨロシク 肥後人ハ陰険ナリトノ風評アリ注意ヲ要ス 北海道新 長官親シカラズ松尾ノコトムズカシ 民党モ容易ニ動クマジ 国民会ハ政府ニ疎意ヲ見セヌ が得策 →梧陰三 〓(カ)
  • 明治二五年一二月六日 (佐々・古荘宛)将来変兆アリトモ国民協会特ニ熊本人ハ内部運動ニ奔走スベカラズ 理由
  • ノ一八松方内閣打倒ニオケル主動者ノ流言ヲ受ケザル為メニ八軽薄ノ徒ニ口実ヲ与エザル
  • ヨウ三八反対者ニ離間ノ好機ヲ与エザル為メ →梧陰三
  • 明治二六年二月一六日 今度ノ和協主張者ハ自分勅諭ノ精神ハ紛争ニ日ヲ空シウスルノ非ト解散ヲ避ケルニアリ 強硬論者ノ非難ハ甘受 所見ニ異同ハアレ面談ニ及ベバ理解アルベシ →梧陰三
  • 明治 年三月三日 御病状如何 生近況苟安詩作一篇 →梧陰三
  • 明治 年五月一七日 解散ノ外アルマジ 内閣変動ハアリ得ズ安心アレ 御容体イカガ →梧陰三
  • 明治 年五月二六日
  • オ求メニ応ジ詩一二首録上ス →梧陰一
  • 明治 年六月六日 昨夜成田ヲ以テ申セシコト御怒リノヨシ 自分奔走シタ次第ニ非ズ 或時期マデ持チ堪エル
  • モ憂国者ノツトメ 各人意見アリ大体破壊ノ考エナレバ昨夜申セシコトハ取消シ 自分モ先 日ノ御勧告ニヨリ小運動セシコトヲ後悔 →梧陰三
  • 明治 年七月一四日 旧知死去多キ中ニ東野翁健在吾党ノ望ミ 近作詩歌 高橋鉄道局長ハ経済上所見アル人物御 面談アルベシ 河野通倫死去遺子教育ノコト →梧陰一
  • 明治 年七月二三日 明日二位様新橋十五銀行ヘ御出ニツキ同所ニ御出アレ 海面新地ハ諸君ノ尽力ニヨリ免租延 期 納金ノ方ハ議会ニ持出スコトニナリタリ →梧陰三
  • 明治 年八月五日 (佐々・古庄宛)御意見不同意ニアラズ 邦家永遠ノ計ニ過激ノ策ハトラズ 中西ノユニテ
  • リアンハ実行然ルベシ 信州一小区地面注文 村上義雄巡視意見アラン →梧陰二
  • 明治 年八月八日 津田君同伴ニテ御来訪クダサルヨシ 指頭腫物ノ為メ微熱横臥中 回復ノ上時日通知スベシ →梧陰三
  • 明治 年一二月一五日 震件急ギノ様子ナシ 頭山ニ面会ノ際此方ヨリ探ラントシテ先方ヨリ探ラルルコトナカレ →梧陰三
  • 明治 年 月 日 行違イ引取ル今 朝話ノ件山田ト相談ノ上土方ヘ申込マレタシ →梧陰一
  • 三、 井上第五郎書翰 姪マツノ夫
  • 1 明治三八年四月一日 大韓大捷碑ノ石摺発送 当方面小衝突アリ
  • 2 明治三八年五月一六日 近ク師団到着 緒方武 当地状況 大阪・九州軍夫ノコト 井上馨書翰
  • 明治 年五月二九日 至急話アリ明朝官邸ヘ来車乞ウ →F 伊藤博文書翰 〓(カ)
  • 明治三一年八月二三日 梁ヨリノ依頼電ニハ応ズベキ筈ナクオ捨テ置キ乞ウ 付、梁啓超ローマ字電報 唐才常等捕 縛救護依頼 →F
  • 明治三四年四月八日 観風詩史序文送付添書 付、観風詩史序文 →F
  • 明治 年一一月一五日 御懇書私身上ノコト高慮煩ワシ感謝 →F 伊東巳代治書翰
  • 明治三四年一一月二〇日 観風詩史受贈御礼 →F
  • 明治 年四月二〇日 近日ノ成行ニ付懇諭感謝 御序イデノ節来話ヲ待ツ →F 海江田信義書翰
  • 明治 年九月二四日 スタイン〓義講義録入用トノコト一部呈上 →国上
  • 二二、 鎌田景弼書翰一八四二ー一八八八 熊本藩士 号酔石 明一六佐賀県令及県知事
  • 1 明治一四年九月二六日 矢野茂ヘ托書拝読 貴地景況賀スベシ御苦心深察 当地ニモ有志家多シ 吉禅寺ノ会ニテ熊 本新聞ノ意見書ヲ紹介 開拓使処分問題憲法ノ必要ヲ増ス 山翁県令拝命ノ経緯 深野ノコ
  • ト進捗
  • 2 明治一六年一月一二日 〇翁ニ面話助成方談判 鳥山人望ナシ ウラ天狗出京 〇翁ヲ称賛シ鳥山ヲ誹諺 欧州ヨリ 帰朝アラバ改革アルベク 山形議長九州行キ 面会ヲススム 済々〓賜金九分通リ見込アリ 〓原孫蔵
  • 3 明治一六年五月二三日 小生佐賀転任 永山ノコト承知 高橋長秋ハ仕官ノ意ナキや五六等属ニハ用イラルベシ 肥 後人官途志望者取扱ニツキ心情ヲ述ブ 〓(カ)
  • 4 明治一八年三月一四日 昨夜良縁契合大賀
  • 5 明治一八年一〇月八日 林泉道人ノコト承知 飯田町公ヘ准奏任以上デナケレバ社友モ手放スマジト内書ヲ呈シオケリ 山田滞京数月結果ヲ案ジオリ 深野ハ如何 〓(カ)
  • 6 明治一九年四月二二日 住江転任ノ進等減俸ハ内務省ニテ不賛成ニツキ同等属官ニ採用ノヨウ談ジオケリ 右困難ナレバ如何スベキヤ
  • 7 明治一九年五月三日 池辺申越ノ旨承知 上京ノ途中本人ヨリ聴取 眼前ノ小安逸ヲ捨テ当分報難ニ堪エ洋学修業ノ志ナルモ役人片手ハ覚束ナシ 奥村病気ソノ他
  • 8 明治一九年五月二七日 住江一条兄ヨリ話アレバ功能アラン 東京ニチハ住江ヲ山田ニ取ラセ今村純ヲ入レル策 今 村入獄ニヨリ住江ヲ安場引受トナレバ美談トイウベシ
  • 9 明治一九年六月一日 (高見克宛)池辺発程 勉励賞金未済ニツキ立換エ 辞令送致 中路妻帯然ルベシ
  • 10 明治一九年六月一四日 軽罪裁判所弁護人ナシ 被告出席ノ時ニ限ル三人出席ハ新聞社ニ迷惑 大審院判決文未着 欠席裁判ニテヨロシキ様取計ウベシ
  • 11 明治一九年七月九日 (佐々・高見宛)牧無罪ハ同慶 祝賀会ハ他ニ名目ヲ設ケラルベシ 近況ソノ他
  • 12 明治一九年九月一二日 富翁ト会談鉄道ノコト相談ヲ受ケ有志会同シ意見ヲ徴スベシト提言 東京ニテ社長ニ黒岩ノウワサ九州ニテ反対ナラン白木ヲ推薦セリ 貴兄等ハ政府保証金ヲ望ミ低鼻輩ハ民設ヲ可トス 富翁ニハドノ点ヲ入説セヨトノ貴意ナリヤ 半面黒・新天来ノ人物三角築港ノ問題 朝鮮ニテ名誉恢復ニ山田翁期待ソノ他 〓(カ)
  • 13 明治一九年一一月八日 安場常置委員ヲ引連レ来遊 石黒技師ノ治水説明ニ質疑 安場申セシ件ハ熟議整イタル模様 安心アレ 〓(カ)
  • 14 明治一九年一一月二一日 富翁保護誰レカ出京アルベシ 成功セバ県治上有利ナラン 白木特典モ申出ズベシ 大審院 破毀書類未到着 土佐自由党ハ来春ヲ期スル模様 朝鮮辺ノコト如何アラン 〓(カ)
  • 15 明治一九年一二月二日 駿太夫着熊ノヨシ 武富ヘハ密話更ニ通知スベシ 当県ニテ小生政党ヲ愛スルノ〓ヲ信ズル 者アリ慎重ヲ要ス 破毀ノ件池田義継陪席ノヨシ入説セリ 〓(カ)
  • 16 明治一九年一二月七日 長尾景浦来訪コノ県各郡総代委任条件決定三県同時起工賛成ヲ乞ウ 筑後川一六万円原 案可決 百姓傍聴充満シ県琴心アリシモ無事
  • 17 明治二〇年一月三一日 尊志感服 右様志操アル人懇望ニ堪エズ 林養線ノコト竹添ヨリモ来書 無理押込ミ不可 済々校無届引払ノヨシナレバ宜シク取計イ乞ウ
  • 18 明治二〇年三月九日 横田ノコト轟木郡役所書記ノ許ニアラバ引取ラン 横田書翰代筆ノ為メ無礼ノ言アルモ子供 依頼 少年ノ採用ハ判任官採用ヨリ至難 藤村愛媛転出ハ意外
  • 19 明治二〇年三月一四日 漢詩一首 〓(カ)
  • 20 明治二〇年五月四日 富翁不同意 安場ト森大臣ヘ申入レ説得シテ貰ワントモ考エタレドモ相談ノ上ニイタシタシ 〓(カ)
  • 21 明治二〇年六月一〇日 条約改正内地通商程度ナランカ 未来ノ世変ト人ノ行実ハ異ナルモノ 口ニ矢釜シク行ニ放 縦ナルハ拝金家ニ同ジ
  • 22 明治二〇年七月四日 熊本県勧業課事業不振ニ付鳥取県小田某ヲ嘱望福岡ノ小山ト交換ナレバ応ズベシトイウ 山 田某鳥取採用ノ際一〇円根切ラレシ経緯ヨリ熊本ニ譲ルが得策 山翁ニ入説サレタシ
  • 23 明治二〇年七月六日 貴地鉄道常議員ハ如何 当方伊丹・武富略決定 西ヨリハ牛島有力 常務委員四人ニ変更 低鼻ヘハ投票アルマジ 新聞ニ古荘ノ会ニ石丸・狩野出席トアリ 改進党ニ入ルニ非ズ探索ナリ 〓(カ)
  • 24 明治二〇年七月九日 樋口帰県ハドレ位ナリヤ書記官輩ヘ秘匿ハムズカシ 半面赤来熊ノ折高橋・高島・叔父君ナド話シ置ケリ ー味証明セバ使役セン 選挙会開キ別紙選定 江副低鼻等ニ組ミセザルヨウ 注意 藤津郡井原ハ江副ニ接近 御地常議員如何 常務委員オ見込ミアレバ内示乞ウ 〓(カ)
  • 25 明治二〇年七月一五日 常議員紫藤ハ適任 武富ト江副競争トナラバ伊丹ニ常務委員落札シテ気勢ヲ抜キタシ 伊丹 家事ノ差支エアレド奮発ヲ望ム 貴県議員ノ援助ヲ乞ウ 〓(カ)
  • 26 明治二〇年九月一一日 高島離京マデノ景況承知 ソノ後懸念帰熊相待チオリ 娘嫁ニャル為メ他 遊カナワズ 先月ヨリ痛ミ発シ小浜入湯 東方ノ猟況ソノ後如何
  • 27 明治二〇年九月一三日 済々校合併不承知 金受取ラヌコトノ手続キ東京・熊本熟考ノ上ナラン 佐賀政況 〓(カ)
  • 28 明治二〇年一一月二五日 高島ハ残念 破毀一件公訴放棄ハムズカシ 武富コノ地ニ改進党ヲ始メタルガ急進ニ非ズ 家永ニ党スル江副輩ハ頼リニナラズ 武富ハ信頼ニ足ルヲ以テ郡長ニ採挙 江副イワク武富 等九州改進党組織セルモ昨今ハ尻引キ佐賀ノ恥ナレバ自分出懸ケ面目ヲ保タント 紫溟新報 所載ノ佐賀通信ハ迷惑
  • 29 明治二一年二月八日 愛甲国手ノコト感謝 大隈入閣イカナルモクロミナルヤ 大隈ノ譲歩ナリヤ 意見伺イタシ
  • 30 明治 年四月九日 建碣ノコト了承 池辺吉太郎出金ニ加エ私モ一〇円差出スベシ ソノ他
  • 31 明治 年五月六日 井上ノ安場ヘノ通知ニョレバ古荘ノコトムズカシ 明日井上宅ニ参集願ウ
  • 32 明治 年五月八日 病気見舞 古荘ノコト今一度大臣ニ申立ツベシ 安場ニモ鄙見通ジオケリ
  • 33 明治 年七月三日 古荘ノイウ八九分成功トハ証左アリヤ コノ上トモ井氏等ヨリ催促アレ 大河平出京 横浜 西字新聞記事物議ノヨシ 有田ニ製油蒸気器械据付ケ開業
  • 34 明治 年一二月二一日 高見ノコト土方ヘ書簡ヲ呈セリ 年内ニ運バヌ時ハ困難 浅山ヨリ呈書アラン 公判急ガセ 池田正誠忌避 武富ト熟談取付ケ済ミ
  • 35 明治 年 月 日 叔父君ノ件来年帰熊ニ同意 小橋ト交易ニテ両便
  • 36 明治 年 月 日 東京叔父君ヨリ来翰 正之君巡廻中 縁談身上ノコトナド
  • 37 明治 年 月 日 御来示件々承知 当県ハ安心アレ三県同時着手賛成ヲ乞ウ 庄江常雄
  • 38 明治 年 月 日 (断翰)大隈門前市ヲナス景況 出入スルハ金儲ケ主義ノ事業者 矢野文雄意見ニハ妄動ヲ 警メ言論モ徒為ナリトイウ 嘉納治五郎書翰
  • 明治二四年八月二八日 当地出発未定 中学校長引受ノツモリ 今日ノ定額ニチハ成算ナケレド文部大臣ヘハ十分申 出ルツモリ意見承リタシ ↓F
  • 二三、 狩野直喜書翰
  • 1 昭和六年九月一六日 (守田愿宛)佐佐先生胸像記原稿ニツイテ 柏田盛文書翰
  • 明治三〇年五月二三日 御忠言ナレド税率ノミヲ高ムルゴトキ原案反対 薩長分裂ニツキ松内閣が進歩党ト同盟セシニ罪ヲ帰シオラルレド前伊藤内閣が自由党ト提携セシニヨル 生モ武断内閣ヲ希望セリ →F 片岡健吉書翰
  • 明治三二年一月二三日 海外教育会理事本多庸一が貴下ノ人会ヲ希望趣旨・規約書ヲ供覧 ↓F
  • 二四、 桂太郎書翰
  • 明治三五年六月一日 御垂示了承 多忙ニテ直接指揮モナラズ大蔵大臣・大浦総監二委任シオレバ催促セン ↓ F
  • 明治 年四月一三日 借用ノ元田東野書幅返却 →F
  • 1 明治 年六月三日 工業銀行ノ件蔵相ト御相談ノ結果オシラセクダサレ感謝 過刻首相ヨリ内話ノ件ニツキ明日議院ニテ面談イタシタシ
  • 2 明治 年六月一一日 御垂示了承
  • 二五、 木村弦雄書翰一八三八ー一八九七 号邦舟 木下〓村.林桜園二学ブ 明一六宮内省御用掛 学習院幹事 済々〓長
  • 1 明治二八年四月一八日 (佐々友房・津田静一・白木為直宛)素意ト相違井上ト激論セリ 今般ノ編纂ハ勅選ノ政記ナリ 国憲編制ノ材量トスルモノ 維新ヨリ今年迄ノ略史ニテ井上ノ肩代リ 済々校ノコト紫漠会ノ性格ニッイテ 付、井上ト応接ノ趣四月二八日付一通
  • 2 明治一六年四月二二日 山県・渡辺・尾崎済々校ヲ視察称揚 右ヲ旧知事公二吹込ミ月々二三百円ノ扶助アル由 政党ヲ学会トスルコト見合セタシ 宮内省ヨリ済々校へ寄附金名義検討中中学校ノコト手入レノ模様コナタヨリ教員ヲ派遣スベキカ 池松等ノコト不明 各地自由論者ノ動キ秋マデニ判明セン
  • 3 明治一六年四月二七日 (佐々友房・津田静一宛)迎陽館ニ集会 宮内省及ビ御内家ヨリノ寄附金 済々校ト育雄校合併ノ合議 有斐学校ヲ合併ノ意見アリ 紫漠新報送付乞ウ
  • 4 明治一六年五月一五日 (佐々友房・津田静一宛)古荘着京御地動静ヲ聞ケリ 古荘帰県ノ件御両所ノ懸念尤モナレド済々校基礎確立迄ハ今一尽カヲ期待 武田出京
  • 5 明治一六年五月二〇日 (佐々友房・津田静一宛 古荘嘉門・岡次郎太郎・木村弦雄連名書翰)済々校へ御下賜金宮内省内決五〇〇円位トノコト 御内家ノ方ハ未確定二乃至三万円位ナラン 振武会・育雄校ノコト古荘着マデ見合セ乞ウ
  • 6 明治一六年六月一三日 (津田静一・佐々友房宛)明治五年ノ地券発行土地私有ハアヤマリ 山田ナドモ主張 今更取返シモナラズ 近頃返還運動起リ高原・副島ナドモ賛成
  • シカシ憲法ニテ管轄権ヲ把持スレバヨロシカラン
  • 7 明治一六年六月二九日 (佐々友房・古荘嘉門・津田静一宛)済々〓へ下賜金ノ祝辞・詩歌 新報掲載ノモノヲ取纏メ天覧二供シタシ
  • 8 明治一六年一二月二七日 (白木宛佐々友房書翰)木村書翰廻付 付、津田静一・佐々友房宛木村弦雄書翰 古荘処遇
  • ノ件 紫溟会 済々〓 土地所有権 憲法ノコトナド
  • 9 明治一七年一月一三日 (佐々友房・津田静一宛)日報社ヘ依頼ノ人物芥川外一名引受ノ手筈 村山・上田ノ中ヨリ 上田ノ方便利ナラン 私儀学習院掛拝命ノ沙汰期スルトコロアリ
  • 10 明治一七年一月一九日 (佐々友房・津田静一宛)徴兵令発行ニテ私立学校大困難ト想像 済々校ニテハ如何ノ話合
  • ナリヤ 私見ニヨル対策 軍艦寄港荒尾モ賛成 学習院掛リ拝命ニツキ気構エ済々校建築 資材陸軍ヘ願ノ件好都合 紫溟学会主旨案文井上苦慮 〓(カ)
  • 11 明治一七年一月二三日 (佐々友房・津田静一宛)済々校規則ニ歩兵操錬科ヲ置クコト如何決セリヤ 学習院徴兵一 条ニツキ大評議中華族ノ無気力遺憾ノ極ミ
  • 12 明治一七年二月一八日 (津田静一・佐々友房宛)芥川・山口新聞原稿依頼済ミ 芥川ヘ月々十二円渡シ 国友竜騒 艦長琉球ヨリ肥海ニ入リ海軍兵上陸ノ筈 陸軍建物希望通リ払下ゲ野田尽力 井上神経ノ態 竹添ノコト新聞紙誹謗 付、紫溟学会主旨書草稿ノ件一通 学習院掛リ拝命 華族ニオケル 徴兵令一条ニツキ建白一通
  • 13 明治一七年七月二三日 (佐々友房・津田静一宛)申越シノ宗教一条当地動揺 我ハ政教一致他ノ宗教家ノ言動ニ惑
  • ハズ 我カ首長モ同意見 正大ノ陣勢ヲ開張アレ 井上毅 付、学習院教則ニツイテ一通
  • 14 明治一七年八月九日 大阪ヨリ書状拝見 懸念ノコト案外ノ結果トナレリ 大兄身上ノ件白木・津田ノ意見ニテモ 大兄ノ足抜キ不能ノ見込ミ 可能ナレバ至急オシラセヲ乞ウ
  • ソノ他
  • 15 明治一七年八月一八日 (断翰)狩野身上ノ件
  • 16 明治一七年八月二四日 (佐々・津田・白木宛)(前文欠)佐々ノ身上書状通リ申訳ナシ 罪魁ハ安場宗教一条ノ 紛糾鎮静セシモ先行キ不安 清・仏破裂東洋ノ変局招カン 我ヨリモ着手ノ時機カ如何
  • 17 明治一七年一二月二四日 (津田静一宛)新聞保護ノ件外務卿韓国出張ニツキ牧落胆 韓地ノ井上毅ヘ外務卿ヘ談合依 頼セリ 近来政府意向時事新報ノ主義ト相似 紫溟新報が時事ヲ洋癖ト詈罵スルハ保護ノ点
  • ニテ懸念アリ 円滑ノ手段望マシカラズヤ 韓地公使処分ハ不同意 佐々帰期如何
  • 18 明治一八年七月一一日 明石身上急ヲ要ス 同人ヲ周旋スベキ猪野修史館ヘ転任セリ
  • 19 明治一八年一一月六日 県地模様拝承 〓輩ノ屈状ハ真情ニ非ルベシ 此方モ其ノ心得ニテ応接ガ肝要 小山鶴父子
  • ノコト 高田・大田黒一党建碑ノコト
  • 20 明治一九年一月一九日 狩野身上九段公ヨリ月三円下賜 有斐校ニ引受ケノコト高橋承諾ノトコロ高等中学入学同 校入費六円ニテ差額済々校ヨリ出費願エザルヤ
  • 21 明治一九年二月一日 (佐々友房ト木村弦雄往復書翰)〔往、佐々〕山口ノ文章高橋ヨリ一見 井上ヘ相談ノ件懇 話イタシタシオ立寄リ願エルヤ〔返、木村〕老母病気来車乞ウ
  • 22 明治一九年二月一八日 学習院火災ノ為メ一六日ヨリ一睡モ出来ズ只今事後ノ対策ニ尽力中 明日ノ集会モ出席カ
  • ナワズ
  • 23 明治一九年二月一八日 (佐々友房・沢村大八宛)本日ノ八百松ノ集会火災後ノ取仕切ニ奔走中ニツキ欠席
  • 24 明治一九年二月二八日 安場赴任祝ニ一夕催シテハ如何 山田・藤村・鎌田・井上ノ諸子ニ連絡ヲ乞ウ
  • 25 明治一九年三月二二日 昨日 御依託ノ件竹添ヘ話セシトコロ 規則・教則ノ送致ヲ待ツトノコト
  • 26 明治一九年四月一一日 狩野直記養祖父死去 同人帰省相止ム
  • 27 明治一九年四月一九日 友枝ヘ送金承知 竹添旅行中井上ヘ相談 例ノ金ヨリ一時立替エ願ウ
  • 28 明治一九年四月二三日 山口武洪ヘ電報ノヨシ 同人昨夜来話 熊本ニ雇入レノコト不確定 司法書記官加太某同省ヘ斡旋採用ノ運ビニツキ了解アリタシ
  • 29 明治一九年六月一八日 改良ノ新報拝見 当分熱海ニテ療養 例ノ金ノ一条高橋引受ノ内ヨリ百円借用 今月返納ノ 予定ノトコロ井上内話ニヨレバ小生非職トナル由 此節洋学万能時代ニ小生無用ノ次第 右 始末ニ至ラバ帰県旅費ニ借用
  • 30 明治一九年七月 日 (断翰)帰県予定通知
  • 31 明治一九年九月二日 狩野ヘ送金承諾安心 同人居所 長崎水兵騒動ニ加エテ朝鮮ノ事件突発多事ナリ
  • 32 明治一九年九月七日 済々〓詩文編ノコト承知 大廻シノ荷物中ニアリ着ノ上廻送スベシ 〓(カ)
  • 33 明治一九年一二月三〇日 議会解散ノ運ビ苦心推察 喪中失礼 〓(カ)
  • 34 明治二〇年七月八日 草稿ノコト貴意承知 今月ノ雑誌ニ間ニ合ウマジ来月以後ニ願ウ
  • 35 明治二〇年七月一五日 弊著送付 東京ノ模様知リタシ 谷・井上等ノコト大出来
  • 36 明治二〇年七月一六日 古荘書翰転送添状 付、断翰一通 条約改正一件 司法大臣乗リ気 谷意見書提出内議中ノヨシ
  • 37 明治二一年四月二日 出発後重要事件ハ墺皇族ノ来観及ビ旧知事公ノ来観 河上視学官来熊懇話セリ 神武天皇祭ノ行事ニツイテ
  • 38 明治二一年七月二七日 竹添墓参帰省来訪 兄及ビ津田ト話合イィタシタシ 明日都合如何
  • 39 明治二一年 月 日 済々〓墺皇族及ビ旧知事公来観ノ模様
  • 40 明治二四年四月六日 旧患再発病臥ヤヤ小康政党・財政・条約改正・学校ノコトナド帰県ノ時ヲ待ツ
  • 41 明治二四年一〇月九日 福岡ノ小野・権藤大兄ト古荘ヲ尋ネ来ル 合併学校ノコト米田ヨリ来信 高田ノ方ハ米田ヨリ清田・溝口ニ弁解 高田モ合併ニ同意 議員ノ承諾判明セズ四校長協議米田ヘ発電
  • 42 明治二五年四月五日 (佐々友房・古荘嘉門宛)九州学院普通部ヲ県立代用トスル案同封情報ノ如クナレバ県立反 対ニ立チテ決戦ヲ試ムベシ 右ハ最後ノ断ニテナルベクハ円満妥結ヲ計リタシ 松平知事等ヘ画策ヲ乞ウ 付、(田中登作宛大窪実書翰一通)九州学院普通部ノ県立中学代用案ニ対ス
  • ル当事者ノ意見
  • 43 明治二五年六月二二日 (佐々友房・古荘嘉門宛)学院ヘ聖影下賜一同感激 医学部ノ失策・法学部ノ失態栢原ノ失 敗ヨリ財政困難ニ由来スルモノ 津田ト善後策ヲ構ジ居リ 岡村政夫気ノ毒ナレドヤムヲ得ズ 付、当務策 我党今後ノ方針 政府与党トナルカ 完全野党トナリテ民党ト一線ヲ画ス
  • ルカ
  • 44 明治二五年六月二五日 (佐々友房・古荘嘉門宛)学院普通部ヲ県立中学代用トセン為メ資格教員任用ノ便宜手段 岡村解雇ニ関スル件
  • 45 明治二五年一一月二五日 (津田静一宛)樟脳製造奔走中 大矢山一条ハ出田ト面談 有栖川宮学院ニ来臨 国民協会ノ隆盛結構 松平知事弁妄材料新聞記事ヲ集メ廻付スベシ 中島・岩下ノ上京ハ高田彦太郎
  • ノ工作 彼等ノ矢先ヲ清国ニ向ケサセタシ 嘉納高等中学校長留任工作依頼 付、有栖川宮 来臨ノ模様 〓(カ)
  • 46 明治二五年一二月一三日 (佐々友房・古荘嘉門宛)政府提出ノ三税増加案ニ付酒造家代表別紙二名ヲ上京セシメ大運 動ヲナスコトトセリ 県下同業ノミナラズ国民協会ノ為ニモ〓
  • 47 明治二六年一〇月一三日九州学院一条津田ノイウゴトク簡単ニァラズ八重野上京ニツキ話合イアルベシ 私見ニテハ九州学院ハ県立・私立併置シ之ニヨリ経営スレバ文部ノ法律ニモ抵触アルマジ
  • 48 明治二七年四月四日 (佐々友房・古荘嘉門宛)済々校県庁ヨリ発令九州学院ハ八重野ヨリ申渡シ終了 佐々ヨリ寄託ヲ受ケテ六年コノ局ヲ結ビ大安心 政界ノコトハ両君ノ担任 小生コノ後ハ自適セン
  • 49 明治二七年六月一五日 (佐々友房・古荘嘉門宛)第六議会終局朝鮮ノ変報至ル 佐々渡韓ノ誤報 大鳥ノ凡庸衰世 凱ニ太刀討ナラズ静観ヨロシカラン 佐々ノ血史山田意見ニテ少々改正 安場上首尾 梧陰文相トシテ上出来
  • 50 明治二八年三月六日 古荘例ノ運ビニ至ラバ副官ニ泰西ノ事情ニクワシク外交練達ノ者ヲ得タシ 支那語学勝木来タリ初歩通訳官作出スベシ 朝鮮語モ開始 商工業学校ノコト 熊本倶楽部
  • 51 明治二八年三月一九日 梧陰子ノ計報悲シムベシ 会葬献花ノコト依頼
  • 52 明治二八年四月三日 対清一条瀬戸際ニ大事出来 当地方人一同慨歎 島田数雄ヨリノ報知ニヨレバ私作ノ唱歌海 軍楽歌ニ採用ノヨシ別紙軍歌貴衆両院ノウチ採用イタダケレバサイワイ
  • 53 明治二八年五月一二日 (佐々友房・古荘嘉門宛)遼東還付雌伏将来ヲ期セン 胆 明治二八年七月二六日 緒方宛貴電ニヨレバ台湾派遣ノ通訳官二七名入用ノヨシ 学院ニ日清講和後目当テ失イシ学 生アリ 右ノ採用試験熊本ニテ緒方ナドニ委任ノ運ビニ至ラザルヤ ソノ他
  • 55 明治二八年一一月二〇日 鎮西館祝文ハ松平知事ノ勧告アリ旨趣ノミ 発会盛況浅山等ヨリ報知アラン 県下寄附金後 日話合ノツモリ
  • 56 明治 年一月一五日 近来県下ノ競争教育・宗教・実業界ニ及ビ長崎カブル学校熊本移校ニ際シ七〇万円ヲ本国ニ 請求 小生ノ虚弱任ニ堪エズ 文学館ト済々校ヲ合併シ津田ヲ校長小生学監位エテ協力カブル学校ニ田尻先生漢学教師トカ遺憾 党中済々校批難ノ声アリ小生任ニ足ラザル所以
  • 57 明治 年二月六日 本日ハ陰暦ノ元日 病問本年ノ卦ヲ立ツ左ノゴトシ
  • 58 明治 年三月一一日 大阪ヨリ古荘ヘ電報着 文意不明観光社関係カオ心当リナキヤ
  • 59 明治 年三月二四日 本日ノ会合病気欠席
  • 60 明治 年四月九日 本日ノ教育会親類中ニ相談ゴト出来不参
  • 61 明治 年四月一〇日 (断翰)岩崎ノコト尽力乞ウ 鹿島ハ教育ニ志シ目的変更ハ遺憾ナレド南米ニ一働キハ如何 別冊正気歌配布依頼
  • 62 明治 年七月二〇日 「安心立身偈」「自誡ノ辞」送付 付、二通
  • 63 明治 年九月二〇日 生徒出欠表書式一枚送付 付、生徒出席表 出 明治 年九月二一日 竹添今夕天草ヨリ帰熊二四日出発ノ予定ニツキ二三日ニイタシクレトノ伝言
  • 65 明治 年一〇月一日 病臥静養中ニテ失礼 品川子爵面会ノ節ハ先頃ノ挨拶ヨロシク 古荘・井上ニモヨロシク
  • 66 明治 年一〇月九日 今夕杉浦ヘ同伴紹介クダサル予定ノトコロ昨夜吐血同行イタシガタシ
  • 67 明治 年一〇月二八日 (佐々友房ト木村弦雄往復書翰)〔往、佐々〕牧ヨリ明夕別宴ノ旨申セシモ多忙ノ折今晩ハ 如何〔返、木村〕今晩都合悪シ明晩ニ願イタシ
  • 68 明治 年 月 日 (断翰)大兄身上ノコト出京出来ザルハ大遺憾
  • 69 明治 年 月 日 (断翰)済々校歌詞帖落手 元田先生ヘ依頼乙夜ノ覧ヘ供スベシ 〓(カ)
  • 70 明治 年 月 日 (津田静一宛)道徳論断翰 暗号表
  • 二六、 共木下広次書翰一八五一ー一九一〇 韓村ノ次男 大学南校・フランス留学 東京法科大学教授第一高等学校長 京都大学総長 法学博士
  • 1 明治三七年五月三一日 議会ニ出席中 狩野帰熊 京洛文科大学設立迄貸与ノ件ハ台湾依託ノ支那現制度調査ノタメ 放擲モ成ルマジ 皇軍連勝列国瞠目世界ニ日本学流行セン
  • 2 明治三八年一〇月二二日 講和ニ対スル不平不満ハ世界的経験ノ足ラザルト連勝ニ慣レタルニ因ル 今回ノ講和ハ小牧ノ戦勝ト見倣シ関ケ原ハ将来ニアルベシ 行賞ニ対スル所感 付、新聞切抜「京都帝国大学 の賀表」
  • 二七、 木下宇三郎書翰一八六五ー一九四六 同心学舎・陸軍士官学校・陸軍大学卒 陸軍中将 陸軍砲兵学校長第一二師団長
  • 1 明治二八年二月二六日 山東栄〓〓ニ着 威海衛陥落 旅順ヘ廻航 講和使北京ヲ発セリト聞ク 凱旋ノ暁ニハ再ビ教ヲ乞ワン 北垣国道書翰
  • 明治三四年一〇月二五日 御意見太陽ニテ拝見 鉄道ノ件配慮感謝 →F
  • 二八、 北村信篤書翰
  • 1 明治 年六月一八日 主人伝言申落セシ一条 由良清国行ハ此方ヨリ勧奨セシニハ非ズ 病体ニテ兵役ニ不適当 清国行ヲ上策トセシナリ
  • 二九、 清浦奎吾書翰
  • 1 明治二三年九月一七日 来旨承知 本日ハ平田・大浦ヘ会エズ明日相談ノ上日時オシラセスベシ上海ヨリノ将来品 拝謝
  • 明治二九年四月二六日 板翁入閣熊本自由党蠢動開始セリト 彼等知事排斥運動観望然ルベシ 山田翁五月出京ノ予 定 方向策ハ甲説 星特命全権公使拝命 自由党猟官主義 →F
  • 2 明治二九年四月二九日 細川興増叙爵ノ件田中宮内次官ニ明朝面談 松平宅集会ソノ必要ナク取止メ 出立日取リオシラセ乞ウ
  • 3 明治 年一二月一日 今明日ノ午後約束アリ 明朝官舎ニテ面談セン
  • 4 明治 年二月 日 書記官更迭決定一人ハ台湾ニ転任ノ予定ニテ内務大臣及ビ後藤ヨリ児玉総督ヘ電報セリ 大野ノ件ハ来旨ニ添ウヨウイタシタシ 児玉源太郎書翰
  • 明治 年八月一五日 本日ナラバ午前中ニ願イタシ 成ルベクハ一七日ニ延期願ウ →F
  • 三〇、 小松原英太郎書翰
  • 明治二五年一二月一二日 鳥取県一件拝承 進歩党ヨリ提出ノ上奏案ニ対スル応戦策大野ト相談意見伺イタシ 選挙干 渉ノ答弁簡単ナレバ間ニ合ウベクモクワシク答エル積リニテ取調べ中ナリ →F 〓(カ)
  • 1 明治三二年一二月九日 内務省高等官俸給予算一件配慮感謝 憲政裳帝国党ヨリノ申入レ報告ノミニテ熟議ニ及バズ 貴党ノ申入レニ返答アリシヤ 付、憲政党申入レ集会政社法ノ改正並ニ行政執行法ニ関スル交渉会ノ案内一通
  • 2 明治三五年九月八日 杉市郎平ノ件承知 中央政界モ次期議会ノ大問題ハ地租継続・海軍拡張問題ナルベク開会 迫ラザレバ活気ヲ呈スルニ至ルマジ 神鞭知常書翰
  • 明治二七年一月一六日 静岡派遣国友申越セドモ藤沢・村松ノウチ此地在留人ニ相談 西・坂田等心掛リ激励電発信 村山ハ止メタリト返書アリ →F
  • 明治 年五月一〇日 今朝御話ノ件遺憾ナガラ断念乞ウ →F 近藤廉平書翰
  • 明治三四年三月二七日 観風詩史寄贈御礼 →F 近衛篤麿書翰 〓(カ)
  • 明治三二年二月一〇日 同文会一件配慮感謝 青木外務ヘ話込ミ何日頃ニスベキヤ意見承リタシ ーF 〓(カ)
  • 明治三二年二月一九日 今朝蔵相面会謝絶ノ電話 諸君蓮絡ノ暇ナク失礼 蔵相ノ都合明朝ヨロシカランモ確答ナリ難シトイウトモ角押シカケルコトニイタシタシ →F
  • 三、 陸実書翰
  • 明治二八年一二月一九日 別紙三浦ヨリ送付 予審停滞柴出獄後ハ益々厳重ニナリ在獄者覚悟ノ体書中ニ見ユ 内閣ノ 意向井上伯ノ胸算承リタシ →F
  • 1 明治 年四月三日 予算組換国友ヨリ差上ゲ済ミノ筈 例ノ件ハ如何現物引渡ニ時日ヲ要スベキカナルベク速ニオ運ビ願ウ
  • 三二、 国友昌書翰 号古照軒 友房岳父 古照軒国友先生筆蹟一巻
  • イ 明治 年四月二九日 聯合試験承知 塾生一両人差出スツモリ
  • ロ 明治 年一〇月一二日 緒方熊喜紹介
  • ハ 明治 年二月一四日 手紙伝達依頼
  • 三三、 国友重章書翰 一八六二ー一九〇九 号随軒 古照軒ノ子 西南役ニ参加 日本新聞・東西日報記者 閔妃事件ニ連座 明三一東亜同文会組織以来幹事
  • 1 明治二七年七月二一日 韓廷我ガ要求ヲ拒絶 右ニツキ閣意ハ知ラズ伊藤ノ狼狽想見スルニ足ル 確報ハ松方ヨリ聞 知 古荘ノ話ニテハ「モルトケ氏」ハ驚カズ伊藤ヲ信ジオル模様ナレドモ今日ノ形勢ニテハ 挑戦ノ名無ク羽林連中ノ胸中ヲ聞キタシ 対策五点アルベキモ有志組ニテ非常手段ヲ決行スル策古荘同意セズ 広島ヘ出向キ高島ト至急面会アリタシ
  • 2 明治二七年七月二二日 今ノ内閣ノ手際ニテハ韓廷ノ議ヲ変エルグライガ精々 福本誠一策ヲ持チ帰レリ 右ハ韓政 府ノ革命ヲ企図スルコト 日本党ノ連中ト共謀シ一万金ト一百ノ壮士 加ウルニ我軍隊ノ好 意的傍観ヲ得レバ成就セン 福本ハ金策ナキ為メ困苦ノヨシ 此策我等ニトツテモ快ナラズヤ 意見如何 田中賢道
  • 3 明治二八年一月二三日 井公使ヘ紹介依頼 添書及ビ宗文章ハ品川子ヲ経由スベキカ鉄然師面会ソノ密話ノ条 々 韓国布教ノ方策等 小生日本語学校論ニ賛成 辻治之
  • 4 明治 年 月 日 漢詩一篇
  • 三四、 牧相愛書翰
  • 1 明治三七年五月二五日 安着通知
  • 三五、丸山作楽書翰
  • 1 明治一五年三月二四日 雑誌発刊 社員一同慶祝 日報社・東洋社・大東新報団結シテ立憲党ノ空理者流ノ反対ニ立チ同志統合ノ予定 河瀬〓出京ニ付話シ置ケリ 立憲帝政党本部設立ノ運ビトナレバ鎮西行キヲ期ス
  • 明治一五年四月二日 紫溟会生等モ賛画ノツモリ 井上毅ト協議セシコトアリ激徒ト無用ノ弁論ハイタサヌツモリ 其辺注意アレソノ他 →F
  • 2 明治一九年一月七日 (佐々友房・高島義恭宛)今回ノ政変新聞報道ノトオリナラン勤倹主義ハ結構ナレド質実ノ意旨アルヤハ疑問 奢移模倣ハ憲法政治ノ外形ヨリ来レリ 内大臣ハ尚璽官ノ引写シ将来ノ職制警戒ヲ要ス 反対党ハ政府ヲオダテ改進主義ノ政略ヲ推進 両君ノウチ一人上京アレ
  • 3 明治一九年五月九日 (高島義恭・佐々友房宛)鈴村ノコト古荘・山川ヘ斡旋感謝 井上トハ机ヲ並べ日々論戦 中村太三 大隈党ノ陰険計画偶然ナラズ 福沢法師ノ巡礼宗旨弘メナリ
  • 4 明治 年五月一日 出発遅延コトワリ状 益田孝書翰
  • 明治年九月一九日 御品拝見小生ニハ無用ニツキ返却 →F
  • 三六、 松平正直書翰
  • 1 明治二九年一一月二八日 転任ヲ承諾 首相・内相ニ面会 人権問題等懇談 不敬問題厄介 私ノ後任ハ大浦ソノ後任ハ安楽ソノ後任ハ山ノ内 熊本ニ異変アルマジケレバ諸君ヘヨロシク
  • 2 明治三三年七月一六日 (佐々友房・大浦兼武・小松原英太郎・平田東助・清浦奎吾宛)北京ニ異変各国公使虐殺ノ 報アリ 西公使ノ安否気遣ワシ 仏・英・露・独ノ動静 我が対策所見 仏名士ブルジヲア ・アノトーノ両氏ニ面談 仏ハ平和主義 西郷内相・帝国党ノ問題ハ如何ニナリシヤ
  • 明治 年二月二七日 美濃ヨリ電報アリカクノ如キ気位ニテハ得票ヲ南条ニ渡シガタシ →F
  • 3 明治 年六月一九日 帰途延引本日帰着御不快ノ由 明日九州学院ノコトニツキ各員ト内談ノ予定 東京政界ノ変 化ニツイテハ別ニ懇談イタシタシ
  • 三七、 松本豊次郎書翰
  • 1 明治二四年一二月五日 高崎有義ノコト失望 藤村モ困難ナラン 柏原等トノ話合イムズカシ 米田ヨリ学校幹事一名上京方ノ手紙工作ヲ願ウ 古荘申入レ小生ハ当分教育ニ従事イタシタシ 議院解散如何ナラン
  • 2 明治二四年一二月七日 山田武甫一派ヨリ高田・宗像・高木等ヘ密報 自由党ハ予算案反対ヲ湖南事件・震災事件ニ勅令反対ニキリカエ 改進党・大成会ノ一部賛同解散ノ見込ミ 小崎義明兄等ト合ワズ自由 党ニ接近 第一区ヨリハ上羽勝衛・友枝厳ヲ推スモヨウ 友枝ハ意外当地混雑セン 解散トナレバ帰郷アルベシ
  • 三八、 松崎〓迪書翰
  • 1 明治一七年六月三日 善備社一件配慮アラン 貴報ニヨリ取止メ賛成セリ 県会議員選挙ハ好都合サキニ偽名書ヲ 送付セシ者アリ残念ノ情実想像スベシ 島書記官ヨリ県庁郡区ニ関シ聞込アレバ内報ヲ乞ウ
  • 2 明治一八年二月一三日 桜田保証書収税長代理長沢属ヘ依頼 別紙ノ通リ申越シタルニツキ至急取調ヲ乞ウ 付、松 崎宛長沢書翰一通 桜田履歴ノコト
  • 3 明治二〇年六月一日 カネテ相談セシ集会当月ヨリ実施シタイ 殖産興業学理等有益ノ事ヲ懇話講習ノ企画 本月十日位ヲ初会トシ 積立金ノコトモ決議アリタシ
  • 4 明治二〇年八月四日 白木知事ヲ訪問学校一件ニツキ意見対立ノママ貴兄上京ノコト釈明セリ 同件ニ関スル山田 意見 松崎山田ト折衝学校合併ノ条件ヲタダス 協議ノ結果東京ヘ通議スルコトトセリ
  • 5 明治二二年一月二日 (佐々友房・高岡元真宛)憲法紀元節ノ日ニ発布ノヨシ 井上毅ラ繁忙取調ベノタメ箱根行
  • キ 伊印総理復職計画 御前ニテノ話皇后・御息所ノ裾抱ニ学習院男生抜擢ノコト 華族中ノ人物
  • 6 明治 年五月二七日 坂梨一条書面ニテ問合セノトコロ別紙返答アリ 再度面談ノツモリナレド見込ナシ 付、松 崎宛坂梨惟修書翰一通 断リ状
  • 7 明治 年一〇月二二日 門司地売却金高島ヨリ送付使用法協議ノ席ヘ出頭ノタメ失礼 銀行株ノコト 立食送別会ノコト
  • 8 明治 年七月四日 知事ヘ牧ノコト頼ミオケリ八重野ハ同意改進ニ近カラザルヤトノ問ニ不偏不党ナリ小山介 蔵モ同様ニ申シオケリ 県会議員無試験ニ郡長採用ノコト否決 目的ハ牧ニアルヨシ
  • 9 明治 年 月四日 婦人会ノコト同感 学校資金ノ件福抱・前田・松山等横取リノ計画御内家ニ損財アルモノト 誤認セシ模様
  • 10 明治 年 月五日 塩川八百蔵四等訓導具状ノコト差支エナキヤ
  • 11 明治 年 月九日 古荘意向佐藤ヘ尋ネシニ政党ニヨリ議員ニ挙ゲラレナバ算盤ニ合ワズトナオ厳正中立トイエ政党ヨリ推挙アレバ実行難カルベシ 放棄然ルベシト説得ノハズ
  • 12 明治 年 月一七日 明日師範校下条等ヲ招キ県令ソノ他モ来会有志ヘハタラキ掛ケノ模様 坂田戸長辞職確実ノヨシソノ他
  • 13 明治 年 月二〇日 (佐々友房・津田静一宛)支那行ノ件ニツキ文林堂・毛利為次郎ソノ他ヲ招キタルトコロ両 人ノミ参集両人ノ意向ソノ他ノ者ノ動向期待ニ反スレバ知事ヘノ申出見合スベシ
  • 三九、 薬袋義一書翰
  • 1 明治二八年四月二五日 久野ヘ相談ノコト和田ヘ依頼セリ承知アリタシ 箕浦勝人書翰
  • 明治 年一月四日 (箕浦勝人・島田三郎・尾崎行雄・長谷場純孝・石原半右衛門・金尾稜厳連名)責任問題ニツキ大竹貫一・箕浦勝人両名ヨリ協議ニ及ビシ件 明日決定通報願ウ →F
  • 三浦梧楼書翰 〓(カ)
  • 明治二二年一〇月八日 高輪本日ノ会議ニ単独発議ノヨシ 元翁ノ話ニチハソノ運ビニ至ラザル模様ナレバ坂本報告 価値ナシ 鳥尾例ノ議ヲ待チ副翁ニ談シ副ハ河ト牛馬翁ニ迫ルノ手段 山県大磯ニ行キ井上 毅同行 毅事理ニ明ラカナレバト思ワル →国下
  • 明治二二年一〇月一五日 歩々佳境ニ入ルノ趣敬賀 景況判明次第一報ヲ乞ウ →国下
  • 明治二九年三月一九日 浄境ニ御加養ハ結構鉄道通ジ当地ハ隣境ナレバ廻杖アレ →F 〓スアオ
  • 四〇、守田愿書翰
  • 1 明治一八年二月二四日 支那談判ニ大使派遣 交渉ハ平和ヲ主トス 高木司法大書記官ガ司法卿ノ内意ヲ承ケテノ話 付、司法卿ノ内諭一通
  • 2 明治三八年一〇月二四日 天津渡航報告 中根斉 天津商況木材取引ニ関スル調査結果 佃一予
  • 四一、 元田肇書翰
  • 明治二九年八月一九日 打電出京催促ノ次第ハ井伯発言ヨリ松隈二伯入閣ノ雲行キ 国民協会ノ対策相談ノ要 隈伯 入閣ナレバ協会一考ヲ要スベク大岡同意見 議会近キニアリ出京願ウ 井伯奔走元老間ニ隈 伯入閣纏リタルカ 伊東及ビ自由党大反対 首相モ蹟藷トイウ →F
  • 1 明治三三年一〇月二二日 風邪ニテ此地(巴里)博覧会ノ視察名家訪問モカナワズ 和田ヨリ一船遅レタガナオ快癒セズ 議会開会不都合ナレバ進退考慮スベク片岡議長ヘ申出置ケリ 元田永孚書翰
  • 明治二二年九月一六日 魯国批准不明英ノ雇入レ実現カ 外務当局ニ反省ノ色ナシ 山県近日帰着セバ変動モアランカ 井上毅辞表呈出ノ覚悟ナリト何カ手段ナキヤ →国上
  • 明治二二年九月一八日 時機到来一層ノ尽力祈ル 別冊ハ天覧ニ入レン →国上
  • 明治二二年九月二三日 条公昨日来話十分ニ話シオケリ 今日井上参堂ナオ申上ゲタレバ大丈夫ナリト 其他好兆シアリ心中喜悦ニ堪エズ →国上
  • 明治二二年一〇月四日三浦仏・米公使ト談話ノ件々好都合ニテ安心 条公ノ模様モ浅野ニハ変リタルヨゥニ伺ワレシトカ益々安心 伊藤陪食ニ付出京ノ折面談 山県周旋ニ待ツホカナキ見込ミ 大隈ハアイマイ土台ヲ動カスヨリ他ナシコレニハ順序ヲ誤ラザルヨウ注意 →国上
  • 明治二二年一〇月四日 品川山県ヘ談話ノ仔細報知辱ナシ 露ノ批准一条同感ナレド手段ナシ 大隈ハ信用ナシガタク早ク進メタキコトナリ 示諭ノ趣承知 →国上
  • 明治二二年一〇月六日 今朝後藤ヲ説得 明後日閣議ニ端緒ヲ開ク見込ミ欣快 閣議開催ノ御催促聖明ヨリ出デ後藤ノ精神此機ニ応ズベシ 諸君子ノ持重富貴ニ淫シ復古ノ精神ヲ忘レ 征韓論ノ時モ見失イ嘆 息ノ至リ 山県モ持重ニ失セズヤモ早ヤ一刀両断ノ時機 老拙尽力セン →国下
  • 明治二二年一〇月八日 高輪ノ模様報知感謝 井上伝言了承一日モ早ク山県着手ヲ待ツ →国下
  • 明治二二年一〇月九日 御尋ネノ件返答ニ及ビ得ズ明日判明セン 閣議開否分離カ 井上ニハ前文ダケ通知アレ 山 県呼返シアラン
  • モハヤ奉勅違命ナレバ秘中ノ秘トナシオカレタシ →国下
  • 明治二二年一〇月九日 後藤発言ナクモ止ムヲ得ザルカ 侍従長経由ハヨロシカラン 閣議開催再度ノ御催促西郷話 合イ御受ケノ次第不明 公然ノ論談慎マレタシ 憲法違反ノ公文取消シノ処置ヲトラザルモ 同罪コノ発論モ機ヲ見ルベシ →国下
  • 明治二二年一〇月一〇日 吉井ヘ懇談同人奮発ノ趣喜バシ 薩人ニヨラザレバ長人ニテハ都合悪カラン 今朝未ダ吉井ヨリ通知ナシ 出勤ノ上面談スベシ 河村・副島ノ奮発モカ強シ →国下
  • 明治二二年一〇月一一日 在宅来話乞ウ →国下
  • 明治二二年一〇月一四日 今日ノ策困難 彼ノ挙勘イズレナラン 薩人着手ヲ要スル時節〓先生〓カザルカ 松方〓
  • ヌルシ 枢密院ハ川村・佐々木・副島ヲ立テ集会 山県御陪食 同人ノ見込ミ伊藤辞表トテ 後ノ二人直グニハ動クマジト →国下
  • 明治二二年一〇月一六日 枢密顧問言上ノコト御聞取ナク三人ノ献言御聴納ト拝察 昨日ノ結果ハ山県押シ詰メ二三日 内ニ判明セン 大木・佐野・河野意見相分レコノコト他言無用 →国下
  • 明治二二年一〇月二三日 今夕来話ヲ待ツ 昨日ノ閣議聞カズ今日中ニ相運ブベシ →国上
  • 明治 年三月一三日 有吉虎若ニツキ松延手紙拝見 好機決断ノ時虎若・直賛両人ヲ呼ビ説楡スベシ →F
  • 四二、 宗方小太郎(宗像彦四郎)書翰 一八六四ー一九二三 荒尾精ノ楽善堂ニ参加 日清戦争中特別任務班 「漢報」発行 東亜同文書院創立ニ尽力 東方通信者創立
  • 1 明治二九年一月一一日 新聞一件漢口ノ分ハ譲受科六百円 高島将軍ヘ相談早々金策願ウモシ成ラズバ西郷大将カ 樺山総督ヘ金策期待ス
  • 2 明治二九年二月一一日 (在漢口)金策ニツキ尽力感謝 漢報林某ヨリ買収成功 名義ハ当分白岩ニイタシタシ 姚トノ約束未結 新聞ノ持主ハ私・井手・白岩ノ三人ニスルツモリ 私不在ノ時ハ井手ヲ代理ニスベク披露アリタシ 上海ノ字林滬報五千円ニテ入手可能 将来ノタメ入手イタシオキタシ川上中将ソノ他ヘ相談乞ウ
  • 3 明治二九年二月二六日 (在漢口)家屋移転事務整理中 受取証同封ロシア・朝鮮容易ナラザル事態勃発ノヨシ報 知ヲ待ツ
  • 陸奥宗光書翰
  • 明治 年七月二三日 今明日中オ立寄リ願イタシ →F
  • 四三、 長岡護美書翰一八四二ー一九〇六 細川斉護ノ第六子 元老院議官 貴族院議員 子爵 東亜同文会副会長
  • 1 明治一八年八月三一日 (白木・佐々・高岡宛)山県初メ大喜ビ安心アレ 高見コト高崎承諾三好中将 済々校積 金ノコト 嘉悦一条山県承諾内務部ヘ召出サルベシドイツ学・英学教員ノ件
  • 2 明治三四年一月一〇日 (藤村紫朗・井芹経平宛)肥後奨学会決議録送付
  • 3 明治 年五月一四日 別紙町田実一ヘ御渡シ乞ウ
  • 明治 年七月七日 専門学会ニ付山田ニ託シ有吉等ヘ申入レォリ聴取アレ 本科業講義及ビ会読 近来ハ井上参 加 →F
  • 明治 年 月 日 昨日ハ井上ヘマデ御出デクダサレ拝謝 昨夕内外人ヨリ聞込ミノコトァリ一両日中朝ノ内 来車願ウ →国上
  • 明治 年 月 日 (米田・安場・井上・藤村・山田・鎌田宛)山田参議等ノ旧話会アリ 午後ハ米国公使別宴アリ本日失礼 小生意見ハ県立ニアレド手順ハ評決ニ従ウベシ 山田健次来リ済々校洋学ヲ 入レ学則改正スレバ賛成トイウ 下条退職 前田孫右術門 →F 中江篤書翰
  • 明治三四年一〇月一五日 観風詩史寄贈御礼 →F 根津一書翰
  • 明治三三年二月三日 政府提出ノ宗教法ノ要点保護監督法人運用ノ三点 保護ト監督ハ衰敗ノ仏教界ニ必要 法人 運用ハ教理上検討ヲ要ス 仏教ハ名教差別ノ教育ニ背カズ公法人トスベシ 耶蘇教ハ平等博 愛我ガ名教ト相容レズ禁止スベキモノ 憲法上国際関係上私法人トスベシ →F
  • 四四、 野田寛書翰
  • 1 明治 年四月一八日 奨学会拡張ニ関シ意見
  • 2 明治 年一一月二日 県内中学生ニ海軍奨励法ノコト 校内景況報告 大東義徹書翰
  • 明治二八年一二月一二日 提携各派明後一四日交渉会開催出席ヲ乞ウ →F 大井憲太郎書翰
  • 明治二七年六月四日 (大井憲太郎・頭山満連名)明夕浜ノ屋ヘ御出乞ウ 別紙電信着廻送ス →F
  • 四五、 大石正巳書翰 〓(カ)
  • 明治二六年九月九日 案内状 →F 〓(カ)
  • 1 明治二九年一月二日四日河野広中来訪同日御来駕ヲ乞ウ
  • 四六、 大岡育造書翰一八五六ー一九二八 衆議院議員 政友会総務 東京市会議長 衆議院議長 文部大臣
  • 1 明治二八年七月三〇日 白根申入レノ集会出席通知
  • 明治二九年八月二七日 漫遊ニ出発ノヨシ 筆十議会マデ反対者ニ貴名上ラザルヲ望ム 隈伯十年政府攻撃シ得ル所ナシ十議会ヲ制スルニハ目今無為ニアルベシ 鉄道問題厄介コノ際鉄道会議員ハ辞任サルベシ →F 〓(カ)
  • 2 明治三二年四月二六日 自由党ヘ議長間題デ交渉適当ナラン 井上蔵相ヘ照会ノトコロ留守ニテ集会ノ件進メ兼ネ幹 事ヘ延期申入レオキシモ尊案提出ナレバ開会方申入レノ必要アリ 本年ヨリ交渉委員ハ和田 ・薬袋・大野ニテハ如何 白根ノ胃変ニツイテ
  • 四七、大浦兼武書翰 一八五〇ー一九一八 島根・山口・熊本各県知事 警視総監 貴族院議員 逓信・農商務・内務各大臣 男爵 〓(カ)
  • 1 明治二一年五月二一日 (佐々・藤村宛)一昨日徳久来訪 郡長問題板垣承知セズ 田口ヲ参事官ヘソノアトニ富山
  • ノ郡長 上益城交迭 田口一時非職ノヨシ
  • 2 明治二一年八月一六日 在職中ノ厚情感謝 第二区僅々ノ差ニテ残念 第一区予想通リ 次回ハ七万円位用意セヨト 平岡ニ伝エラレタシ 京都会談ノコト 〓(カ)
  • 明治二三年六月二一日 清国問題ハ政治家ノ注意ヲ要ス 老台渡清ノ計画清浦ヨリ聞ク 早々出発アレ
  • 3 明治二六年三月二〇日 山下意外ノコトニテ山田モ困却 小生ノ弁護感謝 山田ノ補佐官注意内談ノツモリナレド 村岡知人ニアラズ困却
  • 4 明治二九年九月一四日 今朝柏田ニ面会セシニ昨日三田ニ行キタルモ来客多数ノタメ面談出来ズ詳細書面ニ書キ残シ 置キノヨシ
  • 5 明治二九年一〇月二三日 伯父君遠逝哀傷 新聞ニヨレバ樺内相演説ニ対スル各派戦争オカシ 同筆記ヲ公ニシテモ隈 伯ハ逃ゲ切レマジク改進党ハ主人ヲ失ワザルヨウツトムベシ 天下ノ見物ト思イシトコロ真ノ筆記ヲ公ニセザリシハ遺憾
  • 6 明治三〇年一二月二八日 内閣瓦解都下騒然タラン 善後策ニ山侯ヲ起タシメンモ大勢定マルヨシ遺憾 伊板・松隈共ニ気ニ入ラズ 内閣ハ将来共望ミナキカ 隈板ノ如ク主権在民ヲ標傍セザル外ハ君主内閣党ナルベク 政党内閣ニ為サザルヲ要ス 伊侯担当セバ例ノ流儀ニナルベシ
  • 7 明治三一年四月二一日 自由党縁組不調ノヨシ 今後ノ政界イカガ成リユクカ 秋頃政変カ 巳代ノ進退イカガ 西 園退引カ
  • 8 明治三一年五月二〇日 議会開会万事好都合ニアルベシ 宣言書ハ名案 持論親兵論ガ実現ノ思イニテ喜ビニ堪エズ 誰レノ内閣ニテモ政党内閣トナルベク内外トモ親兵ヲ以テ番兵ヲツケルガ良策
  • 9 明治三一年六月一一日 昨夜破裂ノ電報ニ接シ遺憾ニタエズ 国家的観念ナキ者ト分挟ハ当然 解散後政府ニ強硬ノ 方針アルヤ 〓(カ)
  • 10 明治三一年六月一三日 自由進歩〓ハムズカシ〓 要アリ 山・伊・井・樺・西連合肝要 増税案断行ハ中止マデヤル決断ガ必要ナラン〓
  • 11 明治三一年八月二四日 上京山田ヨリ一報アルマデ待機 星帰朝後自重ノ模様山田喜事件破裂ニハ到ラザルヨシ 鉄 道国有論板.林ハ主張隈ハ反対 隈ノコトナレバ当テニナラズ 伊侯隈板内閣ヲ弁護シテ政 党内閣ニ非ズ日本ニテハ不可能ト理論的迷論 京都ニテハ内海ニ対シ井上・山県・松方臆病ニテ引受ケザルニヨリ隈板ニ渡シタリコレハ三策ノ一番下策ナリト 伊ハ隈ヨリ土産ニ数 万貰イタリト隈ト接近ノ模様 板垣ハ引当テニスルニ足ラズト 清国ヨリ十一月帰朝後隈ト連合スルカソノ他
  • 12 明治三三年一〇月一〇日 渡辺事件真ニ奇観 伊藤ハ本日医者ノ止ムルヲモ聞カズ大磯行 委細不明
  • 明治三七年二月二〇日 例ノ品安立モ心配 漸ク僅ノ出来ニテ気ノ毒 満洲ノ陸戦益々困難ナラン →F
  • 13 明治 年四月一四日 昨夜ノ心配拝察 貴党費別封寄附 極秘ニ願ウ
  • 14 明治 年五月一三日 脳痛ノヨシ来示ノ趣相尽スベキ折残念
  • 15 明治 年一〇月一八日 新潟調査ノ結果御咄ノモヨウトハ相違 県庁ノ標準ハ戸口八百戸地形ハ一ケ村ニスルヲ利トス八ケ村合同シテ千八百戸トナル
  • 16 明治 年一一月二八日 奔走ノ結果内幕好都合 例ノ交渉ハ八九分成功 関東会星ニ一任 首相ノ言通リニユカザレバ最初ノ方針通リニ決定
  • 17 明治 年 月一二日 来示敬承二五・二七要注意 本日閣議ニカカラズ自由党モ活動 明日ヨリ近畿各県ニ斉 藤陸次ヲ密使トシテ派遣
  • 18 明治 年 月一七日 昨夜集会例ノ密議好運大岡ヨリ申上グベシ 別紙林田書記官ノ注意ナリ 付、国民協会小崎 義明反対ノ模様佐々ヘ督責アルベシ
  • 四八、 岡本源次書翰
  • 1 明治三二年三月二日 台湾蕃地在留希望
  • 四九、 小崎義明書翰
  • 1 明治三一年七月一一日 今回ノ政変伊藤ノ挙措言語同断 大兄天下ヲ荷ウノ抱負ヲ望ム 隈板覚ノ猟官熱唾棄スベシ 増地租説ヲ同志ノ標識トスルハ不可 貴族院トノ結合ハ肝要 民法人事篇修正ハ絶対成功ヲ 期セザルベカラズ
  • 五〇、 佐々干城書翰
  • 1 明治 年一一月一九日 (友房・正之他宛)獄中書信 斉藤修一郎書翰
  • 明治三三年八月一九日 清国ヨリ帰朝後繁忙恐察 自分団匪征伐ノ本営画策ニ余暇ナシ 伊藤新政党一件 我カ帝国 党ノ去就決定ヲ要ス 自分ハ佐々ニ盲従ト答エ来レリ →F
  • 五一、 沢村脩書翰
  • 1 明治 年 月 日 所懐一首
  • 五二、 柴四朗書翰
  • 明治二九年一月五日 宗方計画ノ漢口新聞賛成オ申越シノ当人ヲ訪問セシモ病気中ニテ会ワレズコノ相談ムズカシ →F 〓(カ)
  • 1 明治三七年九月一五日 総理書ニ付頭山ヨリ問合セアリ 面会モイタシタシ周旋願ウ
  • 五三、 渋沢栄一書翰 〓(カ)
  • 1 明治三六年一月二二日 京釜鉄道会社ノ件ニツキ御相談申シアゲタイ 御都合如何 付、副申(他筆)二月二十二日 付、〓変更 〓(カ)
  • 明治三六年六月二二日 京釜鉄道会社重役選挙ニツキ常務委員ノ意向ハ貴台ニ重役ヲ願イ 大野ハ議ニ上ラズ 来示 再考ノ上総会前ニ回答スベシ →F
  • 五四、 紫藤寛治書翰一八三二ー一八九七 県会議員 衆議院議員
  • 1 明治二六年二月一二日 古荘欠席一件 議院休会可決帰途国民協会ニ立寄リタル時欠席者中古荘ノ名アリ解散希望ノ 噂ヲ聞ク 同君ノ欠席ハ腰弱連ノ手前如何 朝ノ議論ノ際内話セシタメカ 国民協会及ビ熊 本ヘノ影響マコトニ残念ソノ責メヲトリ国民協会及ビ政社ヲ退キタシ 付、所懐一通
  • 2 明治二六年四月二六日 大磯ヘ移転拝承 京地モ無事ノヨシ 本県下モ異状ナク 当郡ノ如キハ安眠ニ沈ミ覚醒セシムベク苦慮セリ
  • 3 明治二六年五月一日 新聞報道ニヨレバ朝鮮ヘ視察旅行ノヨシ無事帰朝ヲ祈ル 渋江公寧弟身上ノ件清浦ヘモ相談アリショシソノ後イカヨウノ趣ナリヤ
  • 4 明治二六年七月二六日 合志出懸ケノ決心 大津山林数年後一万五千ニ対スル損失ヲ生ズル際元利保証が懸念 合志 林蔵ノ話人吉ノコト山林ソノ儘ナレバ加名セントコレハ大津山林ヲ暗示セシナラン
  • 5 明治二六年一〇月二日 村上・佐藤ト協議金策一条ニ行詰リ当年ハ三島モ帰県ノ外アルマジ 種子代位ハ送ラズテハナルマジ 独立移住ヲ募集セバ他県人ヲ入レルコトトナリ将来ノタメ如何アラン 追伸、北 海道一件
  • 6 明治二八年一月一五日 伝言清浦ヘ伝ウベキトコロ清浦出院セズ 清浦ハ賛成ノコトユエ面談ノ必要モァルマジク 速ニ決心アリタシ
  • 7 明治二八年二月一一日 山尻等ヨリ申立督促 財産差押カ裁判持込ミカィズレカニ出ルモヨウ 処分覚悟ノホカハナク相談イタシタシ
  • 8 明治二八年五月二二日 京都迄出ルツモリノトコロ批准交換済ト聞キ取止メ 旅順返還ゼヒナシ 陛下還幸賀表奉呈ニツキ国民協会ヨリ配慮アルベク小崎モ同様希望セリ 帰県繰延ベヲ願ウ
  • 9 明治二九年一月二八日 案内状
  • 10 明治二九年一〇月二八日 評議員ノ撰定ハ上出来鎮西館ハ成立セン 内相ヘ面会 尾崎・長谷場等参リ合セ辞去 右ノ 進歩党連中長ク話込ミオリ該党ノ苦心思イヤラル 同所ニテ犬養ニ会イ田口ノ経済論ノコト
  • 11 明治 年二月二三日 オ申越ノ一条長野ヘハ急ニ相談イタシ難シ 小生分二十五円ダケ受取リ願ウ 残リハ嘉悦ニ 相談アリタシ 付、古逕宛長野書翰一通
  • 12 明治 年二月二六日 ヒストル纏リカネルノデ浅山等ヘ願書送リ知事・警察ノ允可ヲ得近ク到着スベシ右ニテ差 支エナクバ別紙ヘ御捺印ヲ願ウ 警視庁許可済迄ニハ熊本ヨリ送着スベシ
  • 13 明治 年三月二日 阿蘇郡渡辺身上ノ件ニツキ白石ヘ一書願イタシ 本人ノ人物ハ保証イタスベシ
  • 14 明治 年三月一一日 藪書面モツトモナリ 明朝出懸ケニ伺イォキ帰途報ジタシ 付、三島吊祭ノ和歌
  • 15 明治 年六月一四日 故三島大七ニ供ユル歌一首来島葬送ノ際ノモノナレド内覧ニ入ル付、歌一首
  • 16 明治 年一二月二七日 上羽申越ノ件報知敬承 昨日留主中上羽参上用件書キ置キセシモ 集会出席ノコト伝エクレトノ依頼ニヨリ通報ニ及ブ 重野安繹書翰
  • 明治二六年七月一七日 明日渡辺洪基ト歌舞伎観劇 渡辺貴台ニモ来観誘イ見テクレトナリ →F
  • 五五、 白木為直書翰一八二三ー一八八七 熊本藩士 力食社ヲ起ス 紫溟会 商法会議 県会議長(明一五)
  • 1 明治一九年二月一四日 硝石一条製造不出来ヨロシク取計イヲ乞ウ 運材上困難数千円ヲ要スル見込ミ 鉄道株券ヲ 陸軍ニ差入レ前金ヲ引出シ得レバ妙ナリ 新聞官吏侮辱ニテ呼出シアリ 到底免レザルトコロ上告名義等話合イタリ 古荘ヨリ申シ越シノ山口雇入レ然ルベシ
  • 2 明治一九年二月一八日 上告承知ノ通リ申渡書新聞ニテ承知アラン 懸念スルトコロハ大審院ノ意及ビ社主変換ニ関シテ〇ニ支障ナキヤ十分配慮ヲ願ウ 山口ノコト承知 文章懸念アリ鄙新聞トナランコト安カラズ
  • 3 明治 年三月一三日 今夕ノ案内ナレド先約アリ 急用ナレバ来訪願イタシ
  • 4 明治 年六月八日 〓
  • 5 明治 年六月一八日 銀行ヘ〓〓ハ社ノ負債ニ相違ナキヤ 古荘ヨリノ〓
  • 6 明治 年九月二九日 高島社用出張 松崎ヘハ区役所ヘ知ラセタレドモ来否不明
  • 7 明治 年一〇月三日 名古屋会ノコト了承 有吉家離杯ノコトハ明日ナラデハ差支エアリ
  • 五六、 品川弥二郎書翰
  • 1 明治二四年一月二九日 予算ノコト気懸リ 元田君ノ遠逝ハ残念 〓(カ)
  • 2 明治二五年二月二三日 新党組織ニ関スル件々承知オ申越シノ人ナレバ領袖ニ適当ナランモ発表後ナラデハ決メラレマジ
  • 3 明治二五年七月一一日 黒幕会議一件電光ノ帰京ニョリ滄浪提出案廃案二三ノ新株入閣ノコト相談イタシタシ
  • 4 明治二五年一〇月二二日 広瀬ニ昨夜面談ソノ勧告ニヨリ大阪ニハ寄ラズ香川ヨリ帰京スベシツイテハ急用ノ電報ヲ発信サレタシ 大久保正史・野口八郎 付、曾祢荒助宛品川弥二郎書翰 佐々不在ノ際ノ 同様処置ヲ依頼
  • 5 明治二五年月一三日 約束ノ件松方・西郷承諾 仰セノ三ケ条ソノ決心トノコトナリ 西郷他薩摩連ヘ何デモモノヲ言エル身ユエ遠慮ナク申出アレ
  • 6 明治二六年二月六日 (佐々・古荘宛)院外ニ議員ニ対スル不満アリ 常議員ヲ辞スルノ動キアリトイウ 今日ノ 形勢種々ノ策謀アルベキモ憂慮ニ堪エズ
  • 7 明治二六年三月一日 西伯入閣井上ヨリ灰聞セシニ古荘ヨリ大略聴取 西伯来訪 黒田・大山・仁礼・伊藤ヨリ説 得ノ次第説明アリ 西伯ノ退会今後ノ決意ハ表明セシモ曾祢・古荘ソノ他ヘ相談アリタシ 官界人事 〓(カ)
  • 8 明治二六年三月一一日 仰越シノ件双方トモ困難 山県留任ハ不可能 大臣ト国民協会トノ取リ合セデハムズカシク 超然内閣ノ仲間入リノ上ハ退会モ妙ナルベシ 〓(カ)
  • 9 明治二六年三月一一日 西伯訪問途次出会 宮中ニ御召トノコト 私身上勅命アリトモ動カズ安心アレ 曾根帰京ヲ 待チ明日集会セン 協会ヨリ入閣ヲ勧メタトハ為シ得ズ今日ノ発表閉口 〓(カ)
  • 10 明治二六年三月一六日 昨夜安達来訪 将来ハ一層輔翼願ワザレバ副会頭ハ勤マルマジ 西伯今後共相談ニ乗ル約束 藪・有吉同文書翰来ル 古荘・津田内談ノ効ナリ 藪身上工夫シタシ
  • 11 明治二六年五月一七日 仁川安着ノ報敬賀 川上中将ニ面会ノヨシ 総理・大山承知 支出決定トハ不審 西京ソノ 他動カズ断念ノ外ナシ 曾祢ノコト発表協会員 重立ツ者ト相談瓦解ノ懸念 当冬ノ議会ハ真ノ関ケ原 古荘富山・新潟ヘ出張
  • 12 明治二六年月二七日 (断翰)来月ノ一周年祭マデニハ恢復イタシタシ 大石公使ニヨロシク伝言乞ウ 〓(カ)
  • 13 明治二七年二月二三日 阪元盛徳著東洋経略管見 学堂評モアレバ承知ノ人物ナリヤ 広瀬千麿渡清セシヤ
  • 14 明治二七年二月二四日 (佐々友房・藪広光宛)(国民協会宛熊谷孫六郎書翰)岐阜六区選挙苦戦ノ報告(品川書込ミ)選挙応援派遣依頼
  • 明治二七年四月七日 堀純造見合セアルベシ 清家ヘ相談ノコト 古沢ヘ帰県ノ上談判ノラクラ主義イタシカタナシ 西郷伯来訪 新聞連合盛会ノヨシ →F
  • 15 明治二七年四月九日 オ問合セノ人物俗吏ナリ 中立議員自由党ノ如ク励行派ハ除外三一名獲得ハ疑問励行論ダケデ説諭スル時ハ三〇モ四〇モアルベケレド無用五人一〇人ノ中立者ノコトハ各派ニマカセ 大勢挽回ガ肝要ナリ
  • 16 明治二七年四月一五日 改正一件大切迫 枢密院ノ議ニハ上リオラズ六派交渉モ掛念アリ至急帰京アレ 高崎大会ヘ欠席ハ残念 安場ソノ他出席 内地雑居論ハハワイノ領事裁判撤去ニテ押シ行クヨシ
  • 17 明治二七年八月二日 支那兵海陸ノ進撃左モアルベシ 李氏伊藤ノ策略ニ容易ニ乗ゼラレマジ 海陸大敗セズテハ 真正ノ日本男児ハ現ワレマジ 付、和歌二首
  • 18 明治二七年八月三一日 井上源衛入会 保証人ハ老台ト自分両人ニテ手続キヲ乞ウ 山県ニ告別ノタメ帰京セン 海 陸ノ決戦奏効ヲ祈ルノミ
  • 19 明治二八年一月二九日 対清策荒尾ハ異論ヲ持ス 此度ノ使節ハぺケナレド両円滑先生何ヲスルヤラ掛念ナリ 北京 城マデハ乗リツケタシ 朝鮮ノコト切歯ニ堪エズ
  • 20 明治二八年四月一一日 馬関ノ風波イカガト新聞ノ報道ニ心配セリ 真正ノ終局ニハ至リマジク時機ヲ失セザルコトガ肝要 戸田宛ノ書郷里ヘ好便ノ節托シタシ
  • 21 明治二九年二月二一日 山県大〓シタシ
  • 22 明治二九年二月二二日 山県ニ面会出来ズ 白根ニ尽力要請セシトコロ明日ノ梅園ノ集会ニ落合イタシト返事アリ 清浦モ出席ノヨシ 老兄ノミ打死ハサセマジク明晩迄保留アリタシ
  • 23 明治二九年五月二〇日 御料鉱山払下ゲ一件ハ驚クベキ処置 生野・佐渡・大阪ノ三技師ノ意見ヲ無視決定ハ遺憾 払下ゲ松方モ賛成ノウワサ 電信ニテ照会三技師ノ最後ノ意見日々新聞ヘ記載スルヨシゼヒ一読アレ
  • 24 明治二九年八月五日 山県大将帰京来訪 身ノ入リタル話ニナラズ 伊藤ガ投ゲ出シソウナ口調大隈入閣不明 竹 内綱土木局長・桜井・石坂知事ハ決定セリトカ笑止 鉄道会議ハ今月末開催ノヨシ 山県魯 国ノ都合ハ本人モ語ラズ此方モ聞カズ 伊藤国民協会ノ意向ヲ気ニセリ
  • 25 明治二九年八月二六日 池辺・国友来訪傍観的ニ見受ケタレバオ待チクダサルヨウイイオケリ 中央ノ雲行不明八 方閣ハ根石傾クモ崩レズ 御意見上京マデロ外セズ 梅園モ知ラヌ顔 含雪・海東ノ無隣庵 会話ハオモシロカリシモヨウ八方閣心配ナラン
  • 26 明治二九年九月一四日 今日ノ事態ハ意外ユルユル養生アレ 予測的中ハ国家ノタメ残念
  • 27 明治二九年九月二三日 雲行不明 樺山ノ意中奈辺ニアリヤ 他ハ知ラズ西郷・樺山ノ意中ハ知リタキモノナリ三分鼎立ヲ望メド掛念アリ
  • 28 明治二九年九月二九日 高原君病気ト聞キ及ビシオリノ凶報気ノ毒ナレド金鶏勲章ヲ得ラレタルハ武門ノ誉ナリ 内 閣モ発足西郷・樺山ニテ大綱引キ締メガ肝要ナリ
  • 29 明治二九年一〇月一八日 叔父君ノ永眠愁傷 総理演説ハ実行ノ上ナラデハ可否不明 内相演説ハ十分ナリ 首相邸ノ 会議ニテハ松方ハ政党内閣不同意 隈伯一人ノ有様ナリト 樺山ノ言行一致ノミヲ期待
  • 30 明治二九年一一月四日八畳敷効能ハ今日顕レ同慶四畳半ニ集会ウロツク連中気ノ毒ニ堪エズ 樺山ニハ連絡ヲトレリ安心アレ 内地雑居調査委員決マラズ 清国課税問題隈伯自慢スレド好結果ノ原因ハ他ニアリ 内閣大臣中樺山一人ノミノ立場ハ同情スベシ 白根ノ胃病 仙台情報
  • 31 明治二九年一一月六日 別紙読売新聞記事ヲ送ル 去月二五日ノ熊本新聞記事ヲ中央新聞ニ転載 安場等焦慮カ昨夕三浦来リ熊本ニテハ佐々ノ代リニ池辺ヲ出ストノ話 米田ガ国権党ノ首領ニナルト国民協会ノ三国鼎立論ハ中傷多シ 進歩党筋ノ話ハ注意セヨトイイ置ケリ 協会ハ元田ハジメ動カズ 安心アレ 付、読売新聞切抜「国民協会の形勢略定まる」
  • 32 明治二九年一一月二二日 不敬事件宮内省ト内閣大衝突 薩大臣ハ伊板ノ後押シデ野・清・榎・蜂四大臣一団トナリテ 宮内省ヲ助タルト疑イ 樺山進退世評ニ上ル 薩派秘密会ニ大隈参加長派四大臣排斥トイウ 内務次官・警保局長退職 後任不明ナレド樺山ノ手足トナル人物ヲ期待 進歩党ノ強迫ハ困マリモノ 日本新聞又々宮内大臣ヲ攻撃 宮内大臣ヨリ起訴サセ法廷ニテ悪事暴露ヲ企図スルモノ 現内閣ノ不幸樺山ニ疵ノツクノガ残念 大伯ガ内心喜ビイルヲ薩派理解セヌ八口惜シ 林有造 矢野文雄
  • 33 明治二九年一一月二九日 申合セ決行ハ相違ナシ松隈二伯宮内ヘ手廻セシ模様土方動クコトアルマジ 松平来訪樺山トノ談話ヲ聞ク 後任大浦ニテ熊本ハ安堵 樺山モ松平・寺原ヲ入レテ安堵ナラン 発行停止 取止メノ件秘密トノコトナレド進歩党新聞ニテ承知ノコトナリ 進歩党隈伯ノ大言壮語ニゴマ化サル
  • 34 明治二九年一二月九日 陸実来訪失望セリトイウ三浦ノ伝言デハ柴ハ佐々ニ申訳ナシト 内相来リ入閣以来ノ大 略及ビソノ持論ヲ話セリ 省内ニ手足ヲ持タズ大隈相手ニ国家主義ヲ貫徹スルコトノ苦心アラン 国民協会ハ自進ノ間ニ特立シ曲直ヲ正サント答エオケリ
  • 35 明治三〇年一月二六日 尊攘堂行ヲ決意ニツキ面談イタシタシ 令弟・安達・国友書状来ル此ノ世ノ人トナリシハ欣 快 〓(カ)
  • 36 明治三〇年一二月二九日 山県訪問ヲ喜ブ 伊藤入京ノ報乃公出デズンバノ気込ミナルベシ 山県ヲ起スノ機ニナレバ 国家ノタメ喜ブベキモ二三年後ノコトナラン 伊藤内閣トナレバ協会分裂カ 副会頭ハ辞シタシ 〓(カ)〓(カ)
  • 37 明治三一年一月一二日 風気臥床中 古庄ノコト別ニ処置セズ秘書官ニ任セオカン 履歴書二通差シ出スヨウ伝言乞ウ 新内閣ハ井上・西郷ガ二本柱他ニ巳代治・謙澄ノ二本柱アリ 背後ノ自由ノ鉄線ニ注 意ヲ要ス 〓(カ)
  • 38 明治三一年三月八日 浅山ノ凶報同歎ニ堪エズ 追伸、新党ノコト御苦心ナラン 曾祢ニ閉会後断裁スベシト申シオケリ
  • 39 明治三一年五月一八日 別紙注意マデ廻付 山口代議士・熊代ヲ除キ武弘一同着京 武弘以外ハ準国ニスル外ハナシ 古谷・本間ヲ準国トスレバ三輪・磯部モ同一タルベシコノ呼吸御注意 付、品川宛長堀四郎右衛門書翰四月二五日付一通 武藤当選 知友進歩党連多シ 勧誘セラレザルヨウ諭示アリタシ
  • 40 明治三一年七月三一日 近頃ナキ総選挙トナラン同志申合セ菊池ニ一任セン 大浦モ間職好機ナリ 親勅任ノ進退マデ犬声党本部ノ議決次第 山口ダケハ足並揃ウベシ 早川周造 古荘非職群馬県選挙ニ影響アラン一層ノ団結ヲ希望
  • 41 明治三一年八月七日 古荘久シ振リノ選挙奮闘中ナラン 岩上昂・大浦ヨキ時ニ勇退徳久後任ハ都合良カルベシ 大石ハ外務大臣ソノ後任ハ江原トノコト 大隈ト岩崎ノ不和地租増税・運動費請求ノ二因トナリ 島根ノ佐々木・岐阜ノ大野・薬袋・和田トテモ勝テヌトハ遺憾 牧ヲ訪問妙説ナシ
  • 42 明治三一年一〇月二日 県下巡回御苦労 大敗後急ギ上京ノ用ナシ 元田・和田・薬袋ノ憤懣想像アレ 真正ノ勤王 家ハ各地ニ興起シツツアリ期シテ待ツベシ 山県・松方他好都合安心アレ
  • 43 明治三一年一二月二〇日三十余騎ニテ難関突破同賀ニ堪エズ 対州ノ地価修正掛念 仁徳天皇論ハ総理ニ内談アレ
  • 44 明治三二年一月一〇日 別紙廻付薬袋来訪三豪傑ノ一致ヲ願ウ老台ノ位置ハ長門ノ三尊ニオケル芽城将軍ナリ 付、品川宛名須川良平書翰一月九日付一通 脱党一件
  • 45 明治三二年一月一三日 協会三尊ノ談合結果如何 新党組織上憂慮 別紙薬袋書翰廻付 付、
  • 品川宛薬袋義一書翰 一通 新党設立長野地方気遣イ無用 小林小太郎
  • 46 明治三二年一月二二日 内外重大時機節酒養護アレ 小生今日アルハ食慾抑制ノタマモノナリ 水戸ノ三木老人上京 面会アリタシ
  • 47 明治三二年一月三〇日 武田守正来宅 安田ハ本願寺経済断リタルヨシ 服部帰京ヲ待チ今一応試ミル外ナシ 老兄ガ手ヲ入レルハ不得策
  • 48 明治三二年一月三〇日 旧会津藩士紹介復禄一件ニツキ助力願ウ
  • 49 明治 年一月四日 大磯ノ模様ハ中央新聞ニヨルノミ 円滑ハイツモナガラ〇〇ナルベシ 曾祢行ノ添書返却落
  • 50 明治 年一月一一日 江木衷来ル 御依頼ノ件相談セシトコロ承知セリ三浦ト曹洞宗紛議ヲ共ニ始末セル縁アリ
  • 51 明治 年一月二八日 別紙返答来レリ自分帰京迄ハ決定ハアルマジ明 晩出発スベシ
  • 52 明治 年一月二九日 松村喜次郎紹介状
  • 53 明治 年二月二七日 権藤郷里ノタメ脱会シタシト賛成シ置ケリ 柏田モ同様内輪ノゴタゴタハ困リモノナレド致 方ナシ 白根議場ノ挙動ハ憤懣ニ堪エズ 会員ノ新聞報道ニ迷ウガ心配
  • 54 明治 年三月二二日 渡辺村男ヨリ身上ニツキ申セシヤ 郡長復職後松平教育上ニ復スル志願ナレバ柏田ニ依頼シタイ 河野知事ガ党人ニ押サレテ免職セシニ相違ナシ
  • 55 明治 年四月二九日 岩手ノ那須川良平来訪 借楽園組ニハ反対ナレド一応加入ノ上時機ヲ見テ脱党ノ意向ナリトイウ 咋日無所属十名バカリ集会平岡モ中ニアリタリトコノ集会注意ヲ要ス
  • 56 明治 年五月二六日 堀栄一紹介状
  • 57 明治 年六月一七日 西郷ニ面会仰越シノトオリ第二策ニ決心伯モ満足ナリ
  • ソノ代リ若手連ヲ入レ行キ得ルトコロマデハ行ク見込 明日ノ会ニテ自分ノ決意説明乞ウ
  • 58 明治 年八月一九日 曾根虎一紹介状
  • 59 明治 年一二月二日 西郷伯ト談話中牧氏来ル 演舌ノコトヲ話ス 国民協会ハ至難ノ地ニ陥リタレバ今朝協会ヘ 出ル約束ナリ 今明日中自・政・民党ノ模様判明セン
  • 60 明治 年一二月一二日 両三日苦談楼ニアリイツニテモヨロシク大石氏ヘ通知乞ウ
  • 61 明治 年一二月一九日 今晩集会前ニ白根面会希望ノヨシ 霊南坂ヘォ出デヲ乞ウ
  • 62 明治 年 月七日 秘密ニ仰越シノ件同感 自分身上ハ非ノ字ニテ価値アリト確信 明朝西伯ヘ談合イタシオクベシ
  • 63 明治 年 月八日 今晩ハワザト不参 鉄道馬車ノオ疲レナキヤ
  • 64 明治 年 月一〇日 堀ノ耶蘇ニハ困却 渡辺ハ選挙民トノ約束ヲ盾ニセリ 秋保ハ来ラズソノ他甲斐ナキモノノミ 茂木ノ談話ハ少壮諸君ニ受ケタヨシ
  • 65 明治 年 月一一日 櫛ノ歯ヲ引ク如キ情状推察 大阪来電成否不明一三日発トアリ必ズ行レルコトナラン 大 浦ヘオ〓逢イノ上ソノ手続キアリタシ
  • 66 明治 年 月一一日 違約恐縮 樺山・高島ノ都合判明次第一報ヲ乞ウ
  • 67 明治 年 月一九日 今朝ハ多用ニテオ越シナカリシナラン 白根ハ終日 相待チオリ今晩新井トオ会イニナル前 拝話ヲ乞ウトナリ
  • 明治 年 月三〇日 過日違約失敬 明朝御出待ツ →F
  • 68 明治 年 月 日 今朝熊谷他協会事務所ニ出会ノ予定
  • 五七、 白根専一書翰
  • 1 明治二八年二月一二日 法典ノ件上程ニナレバ特別委員ハ各部選挙ニョリ速ニ通過希望 自由党意向モ右ニ決定トアレバ交渉ニ至ランオ含ミアレ 神奈川・八王寺間鉄道貴族院官設ト決議 衆議院ニ廻付サルベクコノ件相談イタシタシ一期線ノ死活問題ナレバ憂慮ニ堪エズ
  • 2 明治二八年七月二二日 明朝来光ヲ乞ウ
  • 3 明治二八年一二月六日 品川子宅会合案内 〓(カ)
  • 4 明治二八年月六日 神奈川・八王寺間鉄道ノコト相談イタシタシ 貴族院ハ衆議院ノ私設案ニ対シ千阪・柴原ヲ 先頭ニ修正運動ノヨシ
  • 5 明治二九年二月一八日 明朝九時来光ヲ乞ウ
  • 明治二九年 月二〇日 和田ノ来報ニイウ河野広中来訪シテ同党代議士会東海道複線並ニ中央停車場新設政府案ニ反 対ノ議決 之ガ再議ノタメ明朝再ビ代議士会開催賛成議決ノ手筈ナリト 右ハ河野等ヘ御投シノ結果ナラン 自由党ハ今夜ヨリ混雑セン →F
  • 明治二九年月二一日 中央停車場案予算委員会ニテ否決 佐々木正蔵意見ニテ少数意見提出 惣議員中ニ復活ノ意 見モアルトイウ 停車場否決ノ理由ニ尚早意見モアルヨシ →F
  • 6 明治 年二月二二日 例ノ集会明日午後四時来光乞ウ
  • 7 明治 年七月一七日 急用明朝八時来光ヲ乞ウ
  • 8 明治 年八月四日 別紙品川子ヘオ届ケ願ウ 引違イ面会叶ワザル時ハ火中ニ投ゼラレタシ
  • 9 明治 年 月一日 急用明日午後一時来光乞ウ
  • 10 明治 年 月一二日 請取書ノ通リ購入オ気ニ叶ワザレバ何時ニテモオ引受申スベシ
  • 11 明治 年 月一九日 西郷来訪延期 清浦ヘハ未ダ懸合セズ
  • 12 明治 年 月二〇日 過刻ノ手紙ハ水交社ニテ両氏受取リ別ニ回答書ナシ
  • 五八、 曾祢荒助書翰
  • 明治三一年一月一二日 司法大臣就任挨拶 →F
  • 1 明治 年六月三〇日 外相・首相・海相面談都合報知 末松謙澄書翰
  • 明治 年 月 日 来示敬承 病気一層慎重ヲ祈ル →F 住友吉左衛門書翰
  • 明治三一年三月一四日 滞欧中ハ失礼留守中尊翰ヲイタダキ失敬 臨時議会ニ東上ノ折御高話伺ウベシ →F
  • 五九、 高原淳次郎書翰、
  • 1 明治一一年一一月二四日 (佐々正之宛)家事 平九消息ソノ他
  • 2 明治一五年四月三日 (佐々干城・佐々友房宛)家事
  • 3 明治一六年二月二六日 家事消息
  • 4 明治一六年四月一五日 為換券送付ソノ他
  • 5 明治一六年九月一〇日 (佐々干城・友房宛)家事書信
  • 6 明治一六年一〇月二三日 朝野ノ議論内閣分離云々ハ実状ハ然ラズ 意見書提出ハ見合セアルベシソノ他
  • 7 明治一六年一二月二四日 オ申越シノ件 回答延引 山田ト相談ドチラカヨリ回答ニ及ブベシ 古印モ近ク上京セン 木 村ハ又前説ヲ採ルトイウ
  • 8 明治一八年一月二六日 帰朝祝清国派遣大使重任 伊知地カ副島ノ如キ人物が望マシ 弱清モ四五年ノ内ニハ立直ルベク今コソ好機ナリ
  • 9 明治一八年七月二二日 農人袋・仁助噺ノ二書写取リ送付乞ウ 品川大輔ノ依頼ナリ 興業意見別途送付
  • 10 明治一九年六月九日 近況消息
  • 11 明治一九年一〇月二七日 勇上京ノ件ソノ他 前田正名 金原明善 雑居両説
  • 12 明治一九年一一月一六日 身上書信
  • 13 明治二〇年一月一六日 福岡鉄道ノ件嘉悦等ノ計画憎ムベシ 福岡地方ノ有志ヨリ探偵ノ書付住江手許ニ来リ安平〓 訴ノ密計暴露 井上ニ写シヲ渡シ 次長官ヘ廻覧 山大臣安平ヲ保護スベシト指示セシヨシソノ他 〓(カ)
  • 14 明治二一年一月二〇日 年賀家事
  • 15 明治二一年一月二四日 西京天授庵ノコト 済々校入塾希望者斡旋ニツイテ
  • ソノ他
  • 16 明治二一年一〇月一八日 安産祝家事
  • 17 明治二一年一二月一〇日 (佐々干城宛)家事書信
  • 明治二二年一〇月六日 建白書浄書拝受 区長宛ノ手続等了承 →国上
  • 明治二二年一〇月七日 浄書二綴拝受ソノ文面ニツキ意見 →国下
  • 18 明治二五年二月一日 (佐々干城・友房宛)正之入院ニ関スル件
  • 19 明治二九年一月二七日 正之・重章無罪慶賀 園・甲斐ヨリ巨海ノ一条 品川・富岡ノ証明申シ来ルモ清浦ヨリ賞勲 局ノ意向ヲ内聞ノ上タルベシトノ話ナレバ回答セズ
  • 20 明治二九年五月一九日 (佐々干城・友房・正之宛)家事書信
  • 21 明治二九年五月三一日 (佐々干城宛)家事書信
  • 22 明治二九年六月一六日 (佐々干城・友房・正之宛)家事消息
  • 13 明治二九年六月二七日 (佐々干城・友房・正之宛)家事 経済通信
  • 24 明治二九年七月九日 (佐々干城・友房・正之宛)家事書信
  • 25 明治三四年一月一〇日 病状報告
  • 26 明治 年六月三〇日 恩給証書受取通知
  • 27 明治 年八月一八日 家事書信
  • 28 明治 年一二月三一日 土産品添状 高橋泥舟書翰 〓(カ)
  • 明治三三年六月二八日 西京行車中ニチハ失礼 仁藤吾寛ヲ紹介 佐田介石弟子 死後遺志ヲ継ギ報国護法ニ 辛酸精 進セリ 咋年結成セラレシ新政党ニ賛シ自分ニ添書ヲ求メ来レリ 御助力ヲ願ウ →F 高崎正風書翰
  • 明治二〇年三月二〇日 (井上毅宛)貴兄並ニ藤村・佐々両氏二四・二五日ノウチ御出乞ウ →F
  • 明治二一年六月二九日 済々〓歴史送与感謝 西幸吉薩摩琵琶 東島技芸伝習方ノ世話承知ナレド手狭ナレバ窮屈承 知アリタシ →F 高島靹之助書翰
  • 明治 年七月二七日 (黒田清隆宛)佐々友房紹介 →F 武富時敏書翰
  • 明治二九年三月二九日 福岡・伊万里間鉄道肥筑鉄道ト船越鉄道ト同時出願 政府ハ鉄道会議ノ決ニマットノコト 肥筑鉄道ニ賛成方頼ム 付、肥筑鉄道発起人意見書印刷物一枚 →F 竹添進一郎書翰 〓(カ)
  • 明治二八年一月二三日 令弟妻帯済シヤ 女医ヲ希望ト聞クガ適当ノ人アリ →F 谷干城書翰 〓(カ)
  • 明治二一年一一月五日 熊谷托書拝読 黒田ノ取巻キ落胆狐鼠輩ノ妄動ニ黒田モ踊ルコトアルマジコノ際公明正大ノ進退肝要 地方行政嘆息 自分病臥中 片岡初メ上京 高陽会 →F
  • 明治二二年一〇月四日 好報ヲ得一安心 来示ノ趣承 知明夕ハ出席スベシ 山川ハ面会ノ上誘ウベシ 浅野来訪三条公ノ様子承リ安心 →国上
  • 明治二二年一〇月九日 吉井伯ヘ談判始末心強シコノ上皇命捧ゼザレバ名分コレ迄ナリ一日モ早ク吉報ヲ待ツ 佐々木・副島不在 佐々木令息持参ノ情報通報ト同ジ →国下 寺島宗則書翰 〓(カ)
  • 明治二〇年八月一日 明日御出待ツ 改正破談承知セズ 井上毅ヘオ聞合セノ上御出アレ →F
  • 六〇、 徳久恒範書翰 佐賀藩士 兵庫県書記官ヨリ富山県知事(明二五)以後 香川・熊本・広島各県知事 休職(明三七)
  • 1 明治三二年二月二八日 郡長ノ件感謝 天草落着 上益城ハ古荘上申 宗村ニ八説得出張サセリ 安達上京委細オ聞 取リ乞ウ
  • 2 明治三二年一〇月一三日 両度ノ電報拝見 取調ニ着手両方満足ハ困難両方失敗モ不便ニテ安心アレ
  • 3 明治三三年三月一日 天草郡ノ騒ギ行違イニョルモノ今ハ鎮静 憲政党時代ノ禍根 小江ノ転勤人事考慮 倉山郡 長転任尽力願ウ 審査会内諭ニヨリ中止文部ノ意図問合セノタメ視学官派遣 臨時県会無事 終結 練兵場交換ノコト
  • 明治三五年八月二五日 政府三六年予算ニ新事業見合セトイウ 第五高等学校工学部拡張予算削除カ 予算提出御尽 力願ウ →F
  • 4 明治三六年九月二〇日 対魯会ノ盛況慶賀 海陸軍ニ勝算アル以上顧慮ナク一大打撃ヲ与エ 清・韓ヲ勢力圏ニ置キ 第二雄飛ノ天授ノ機会ナリ
  • 5 明治三七年一月二六日 電報謝 覚悟ノ上ナレバ驚カズ 清浦ニ内閣ノ雲行キ内聞乞ウ
  • 六一、 徳富猪一郎書翰
  • 明治二七年八月一二日三郡交渉会ニ於テ候補者宗像政ニ決定 高田直チニ帰熊ノハズ →F
  • 1 明治二八年七月二四日 過日ハ他出ニヨリ失礼
  • 六二、 徳丸作蔵書翰
  • 1 明治三三年一二月一三日 (佐々友房・津田静一宛)礼状 富岡敬明書翰
  • 明治三三年二月二一日 長岡子爵明夕来宅貴下ニモ御出アレトノ意向 繰合セ来宅ヲ待ツ →F
  • 六三、 友枝庄蔵書翰一八四〇ー一七八七玉 名村ニ私塾教導 晩年県会副議長 〓(カ)
  • 1 明治一六年八月二日 守田父子ノ聯合学校同盗云々ハ承知セズ 自分並ビニ城生閉塾届済此地引移リ開塾ノツモリナレド戸長送籍セズ届見合セ中ナリ 同盟ヘ通知ノ必要アリヤ
  • 2 明治二八年九月三〇日 原口平入塾申出師範校ニ入リテ兵役ヲ免ルルノ目的ナルヨシ 名護行小生貧乏ノ故カ名 古屋ヨリ延期申入レノ者東京ノ奴隷共ナリ 此勢波及防止ニ福岡ナド親睦会ハ如何
  • 3 明治一六年一一月九日 国土論云々笑ウベシ 彼等モ官員社会ニアルタメカ 地券取戻シ難事ナランモ決行セザルベカラズ 着手セバ容易ナルヤモ知レズ
  • 4 明治 年七月三日 紹介状
  • 5 明治 年七月一一日 玉名ヨリノ帰途ナリ 村上一郎ヨリ経費金五円預リ 津田・牧不在ナレバ明日御運イ乞ウ
  • 6 明治 年九月七日八代宮ノコトマトマリシヤ津田通報ノ約ナレド報知ナシ 地方誘導見合セオリ 原口平ヨリ 伝言承知 門生済々校入校ノコト小生異存ナシ
  • 7 明治 年九月八日 人校希望者紹介
  • 8 明治 年九月一四日 岡小熊ガコト
  • 9 明治 年一二月七日 聯合試験ノコト敬承 明日参校スベシ 頭山満書翰
  • 明治 年月二三日 案内状 →F
  • 一八五二ー一九〇九 号梅渓 図南 紫溟学会設立者ノ一人
  • 六四、津田静一書翰 明治一八ー二〇ロンドン留学 南米移民 台湾開発 細川家々令 〓(カ)
  • 1 明治一五年 月二日 由良友春上京実ナラバ差止ムベシ 仁川ノ変事鎮台ニテモ不明
  • 2 明治一六年五月二九日 宮内省下賜金下付ニ当ツテ祝賀ニ帰熊アルベシ
  • 3 明治一六年五月三〇日 島書記官来話 宮内省ノ恩賜金下付ハ特例 文部省ヨリ扶助アラン 済々校ハ政党臭アルベカラズ改革ヲ要ス 旧門閥連トモ結合スベシトノ注文アリ 至急帰熊アリタシ
  • 4 明治一六年八月二五日 柳川白日会員樺島濤来外五名来話 名古屋会ノコト問詰ニ及ベリ 東京帝政党解党ニツイテ 疑念ノ模様ナリ 福地・丸山等内部ニ不和アリシカ 全国ノ政党解散ト廟堂ノ決定アリシニ 非ズ 伊藤参議帰朝アリタレバ政体論議起ルベシ
  • 5 明治一七年五月七日 開華楼懇親会ノコト八代宮御霊下向ノ仮装行列 菊池社祭典ヘ学舎遠足 共立学舎維持困 難ノ模様 嘉悦・宮川等九州改進党大会ニテ大学設置主張ノ由
  • 6 明治一七年五月三〇日 井上不同意ノ点モ懸念ニ及バズ 株金満員ノ上着手ニ一決セシモ 内務卿ヨリ徴兵ノ件話アリトカ 内務卿ニ異論アリテハ将来ノ運動ニ支障アルベク 善隣社設立一旦見合セ然ルベシ 有吉・由良自力ニテ航清スルトイウ
  • 7 明治一七年八月八日 清仏談判破裂ノ電報廻付 〓(カ)
  • 8 明治一七年八月二三日 電文通報(清仏情報)
  • 9 明治一七年一一月五日 東洋学館・福州事件・村井応接等承知 自由党解党セリ秩父ノ暴民蜂起 仏国強大ノ援軍
  • ヲ送ルトイウ
  • 10 明治一七年一一月一二日 井上陳政 埼玉暴動ノ景況 板垣解党演説 牧ヨリノ来書ニ井上承諾トアルモ減額気遣ワシ 済々校維持費ノコト 春雨支社上海設置御検討アレ
  • 11 明治一七年一一月二〇日 貴翰ニヨリ福州ノ模様承知 埼玉鎮定 板垣帰郷 片岡・内藤等国会開設期短縮運動 西郷 農商務卿来熊ヲ機ニ一事業画策中ナリ 東洋策ニ上海ヘ一社設立ノ要アリ 付、佐々友房宛 内藤儀十郎 浅山知定書翰一二月一八日付二通 済々校近況報告
  • 12 明治一八年四月一〇日 (白木為直宛)済々校維持ノ件熊本出身官員会合醸金規則設定ノ運ビ 地元募金ノ手筈 従四位様ノ演説書別送 新報掲載方タノム
  • 13 明治一八年四月一三日 巡幸中止荻侍従ヘ依頼 向齟齬 荻ヨリ藤波・岡田・松永ヘ頼ミクレタリトイウ 天津談判難 行伊藤・西郷ニチハ李中堂ニ太刀打チ叶ワザルカ 済々校維持費ハ熊本出身官吏ノ醸金ニ一決セシモソノ実行如何
  • 14 明治一八年九月一一日 (佐々友房他八名宛)欧洲ノ形勢民主平権主義ホウハイタリ 英国王室ト政務ノ関係 独西 紛争ト西国王位民主主義ノ害毒
  • 15 明治一九年五月一五日 旧臘ノ大改革規則上ハ間然ナキが如シ 森教育痛歎ニ堪エズ 君権ノ維持自主タルベシ 吾 党進出ニ洋学ノ必要 済々校ニ洋書欠乏ナレバ別便ニテメーンノ民政論ヲ送付 洋書購入ノ
  • ススメ 西洋ニ対抗スル興亜ノ策 付、要用書項目一枚
  • 16 明治二〇年一一月一一日 帰郷日程通知 古荘南洋開拓賛成 白木先生ノ計我党ノ一蹟 県会議員ノ補欠ニ小生ヲ充テ
  • ルノ案ハ辞退 米田家帰熊ノ節済々校対抗競技ヲ見セラレナバ叡聞ニ達スベシ
  • 17 明治二二年八月二日 (木村田鶴(同志諸彦)宛 津田花(静一偽名カ)署名)井上伯邸ノ秘密会議ニテ伊藤ノ憲 法違反論ニ大隈降伏 井上ノ追求ニ大隈論窮シ 結論二点憲法ニ違反セザルヨウ通知書変更 及ビ実施期日延期 中立論者修正ニ動キ一転シテ破棄ニ出デ 大隈モ中立論者抱キ込ミヲ策ス 後藤孤立シ憤激シオルトイウ 我党ハ徹底反対ナリ 原案者ヲ攻撃シ中立論者ハアト廻シトスルガ得策ナラン 紫溟会ハ玄洋社ト行ヲ共ニシ大臣・枢密顧問官ヲ歴訪中
  • 明治二二年一〇月六日 日露条約危倶ニ堪エズ 山県ヘノ上書写拝見 山県愛国心アラバ一読同意セン 当地近況〓 荘ヨリオ聞キアラン 鹿児島ヨリ長某ラ来熊 彼党ト協議ノ模様 長崎ニテ一大会議開催ノ 企図 賛否両論対立ニ乗ゼントスルカ →国下
  • 18 明治二五年三月二三日 品川子辞職ハ意外 施政方針ニ変更ナシトアレバ安心セリ 長野一誠ヘオ預リノ金渡ス 学 界ノ競争引札的広告流行四月ガ天王山ナレ九州大学論ヲ喚起スルノツモリ
  • 19 明治二五年四月六日 安達謙蔵来着 釈迦院ノコト伝言ノ通リ応接スベシ 小生上京ハ如何ナル用向キナラン
  • 20 明治二五年五月八日 加納治五郎上京九州大学ノコトニツキ相談イタスベシ 加納巡廻ノ結論資金用意アレバ 他ニ支障ナキ模様
  • 21 明治二五年八月六日 首相未ダ決定セズ危機ナリ 咬菜翁掛冠天下ノ耳目ヲ竦動セリ松 平知事ノコト安心ナラン 品川子来熊アラバ歓迎セン九州学院維持策ニ腐心 高橋長秋 沢村友義 米穀市場改良一 件
  • 22 明治二五年九月一一日 品川子来熊手筈通リ相運ビ上首尾 来ル佐賀大会ハ現地用意不足 民党勢力強シナド懸念アリ 兄ノ帰期ヲ促ス所以 現地探索ノタメ中津ヲ派遣セリ
  • 23 明治二六年九月二一日 咬菜翁ノ代理デ仏国渡航九州学院ノコト相談会並ビニ御内家ノ方モ纏マリ高岡帰熊 県庁トノ契約議定ノ予定ノトコロ高岡病気ニテ齟齬コノ件ハ八重野来熊ノ際ニイタスベシ
  • 24 明治二七年五月六日 高橋手許迄送金大三輪世話ノ分ハ返済スミカ 小金策ハ見合セトナリ大阪・東京ノ模様待チトナリシガ金策成ラズ大閉口 炭山ノコト三菱ヨリ南部技師出張 紫藤話ニヨレバ意気込ミ 挫折ノ模様 紫藤ヨリ河原信可ニ依頼広瀬宰平ヘ相談カ 又ハ岡山侯池田家ヘ周旋頼ムベシ 杉山徳三郎
  • 25 明治二七年五月二二日 閣臣弾劾上奏案敗北残念 高橋着京ノ電報 炭山・運動費一条相談セシカ 古荘等ト連印松 井家ヨリ借用金返却ノ件 出発日切迫金策ニ保証人依頼 岩本干綱 稲垣満次郎書翰ニヨリ 現地事情大略判明 移民保護自由党交渉願ウ
  • 26 明治二七年五月三一日 高橋来翰 炭山・殖民トモ失敗帰阪セシトイウ 事ココニ及ンデハ面目上強行セザルヲ得ズ 助力乞ウ 自由党ノ井上伯攻撃ハ卑劣 地方税中移民費繰入レハ見込ミナキカ 高橋ニヨレバ稲垣ヨリ松方伯ヘシヤム植民事情報告セリトイウ 如何ノ報告ナリヤ知リタシ 岩本通報 信ジ難シ斎藤領事報告モアリ 現地ヲ見ズシテハ真偽不明 斎藤報告ニツキ移民課長原敬ヨリ要点聴取乞ウ 追伸二通
  • 27 明治二七年六月五日 (前欠)シャム現地植民不適当ノ通報アリ 大迫砲兵少佐ヨリ現地事情聴取アレ 生ハ岩本 調書ヲ当ニセズ 単身ナリトモ出発ノツモリ
  • 28 明治二七年六月六日 朝鮮ノ風雲急 伊藤内閣内政ノ難ヲ海外ニ転ズルノ策トイウモ 李中堂ノ手玉ニ弄サレザルカ 今田主税送金ノ件
  • 29 明治二七年六月七日 常置委員会合 小生南征ノ一事ト総選挙対策ニツキ相談 陸奥等ノ意図スル如ク自由党多数トナランニハ条約改正ソノ他彼等ノ意ノママナラン 選挙運動具体案
  • 30 明治二七年六月二〇日 炭山年末ニハ行詰ルベシ 頭山等ノ考案通リニテ三万ヲ折半シタランニハ負債償却ノミ 買 手待ツヨリ起業費ヲ準備シ採堀着手シテハ如何 朝鮮我カ軍威発揚ハ賀スベキモ政略ニ於イテ伊藤・大鳥ハ李鴻章・衰世凱ニ敵シ得ザルベシシャム渡航運動費不調 高橋モ落胆 榎 本子ノ注意ニヨリ農夫同行ハ取止メ単身視察旅行ノツモリ助カヲ乞ウ
  • 31 明治二七年七月二九日 日清開戦ノ上ハ我ガ方針ハ朝鮮ヲ独立国タラシメ 清国ヲシテ今回ノ軍費ヲ弁償セシムベシ 清国ニ対スル戦略私案
  • 32 明治二七年八月一日 国民軍ノ必要 義勇心奮起ニ九州ノ健児ヲシテ地方討伐ニ使用スルノ必要アリ 鹿児島ノ銃 後体制ノ充実 島津忠義 我県ノ方策
  • 33 明治二七年九月一五日 安達伝言了承 山県軍司令官出発平壌ノ勝報喜バシ 旅順攻撃ニ山県・伊藤不同意ハ失望 我軍鴨緑江ニ迫レバ清国和議ヲ呈シ英・露・独仲裁ノ説アリ 我決心如何 和議調印マデ休 戦ハ不可 聯合艦隊威圧スルトモ屈スベカラズ 義勇兵ノコト士気不振当鎮台ヨリ一旅団出 兵ノ筈ナレバ人心奮起センカ 炭山起業目下困難
  • 34 明治二七年九月二三日八重野上京ノ用向ハ済々校舎拡張ノ件 平壌及ビ黄海ノ戦大勝利慶祝 南下ノ策義勇兵ノ手 続問合セ一報願ウ
  • 35 明治二七年九月二七日 黄海海戦ノ詳報ニ感歎 樺山ニ敬服 第二軍司令官ハ大山トカ 高島ソノ選ニモレタル理由 如何 安達来熊 常置委員朝鮮移民ヲ希望 安達渡韓ニ同行シテ拓殖ニ着手ノ企テアルヨシ
  • 36 明治二七年一〇月四日 出広ノツモリナレド大本営ニテ北進ノ用意中ナレバ南進ハ相談ニ成ルマジク出広モ無用ナラン 支那語連ヘ征台ノコトロ外ナラズ漠然トイイ置ケリ 広島臨時議会ハ神武以来ノ盛事ナリ 清国ノ次ハ英国撃ツベシ
  • 37 明治二七年一一月一五日 (佐々友房・高橋長秋宛)釜山ニテ安達ニ面会 新聞発行ヲ計画中ナリ 小生ノミ仁川着 商業面ハスデニ割込ミノ余地少ナシ 殖民有望小生ノ持論実施ノ機ト覚ユ 炭山資金気懸リノママ出発セリ尽力願ウ
  • 38 明治二七年一二月八日 安達帰国ニ托ス 井上公使韓政改革ソノ他安達ヨリ聴取アレ 安達井上公使ノ信用ヲ得韓字 新聞実現ノ運ビ 正之君ノ商業モ隆盛 旅順陥落慶賀 高島将軍デットリン来朝追返セシハ快哉 炭山ノコト解決セシヤ
  • 39 明治二七年一二月二七日 日進艦清艦撃沈ノ情報信偽イズレカ
  • 40 明治二八年三月三一日 李爺ノ遭難衝撃コノタメ講和不調トハ成ルマジ 談判マトマル暁ハ台湾征略ニ至ルベク小 生一事業ヲ希望ス 古川技師帰国京仁間鉄道着手運ビ 枕木カ土工ニツキ好事業ナキカ佐藤 ・安達等相談持チ懸ケオレバ出会ノ際談合願ウ 炭山是非結着ヲツケラレタシ 韓地在留同 志ノ動静
  • 41 明治二八年一一月二五日 台南到着 頗ル殷富ノ地ナルモ飛入ニ手ヲ着クル能ワズ 城外ハ治安不定 後藤基徳来着ヲ 待チ探検ヲイタスベシ 朝鮮ノ一挙嘆息ニ堪エズ 王妃一人ノタメ吾党ノ地歩崩壊ハ遺憾
  • 42 明治二九年一月九日 福地来電ノゴトクナレバ栗林出発急グベシ 別封野田ヘオ渡シ願ウ 付、佐々・津田宛古荘 嘉門書翰一二月三十日付一通 朝鮮一条 廟堂ノ議談判ノ決スル所意見如何
  • 43 明治二九年一月二八日 高瀬動今回ノ辞職ハ冤罪ニ近シ 後藤基徳来着 原野探検ニ出発セリ 植民事業ハ民政移管ニナラネバ不可能 台北土匪騒ギノコト
  • 44 明治三一年三月七日 御帰国慶賀アジア政局ノ変動驚クベキモ朝鮮ダケハ確保シタシ 欧米ニオケル吾国地位如 何 台湾ノ開拓ノ実状困難 〓(カ)
  • 45 明治三四年四月一〇日 満洲ノ風雲懸念 露清特約不調ハ却ツテ露国ヲ増長セシメル階梯タラン 今後内閣ノ決心如 何
  • 46 明治 年一月二六日 集会案内
  • 47 明治 年三月九日 不気分ニツキ明日ノ山本郡行ハ失礼スルヤモ知レズ 明後日ノ玉名行ハ勉強イタシタシ
  • 48 明治 年三月一七日 県会書記ノ件
  • 49 明治 年四月六日 不参通知
  • 50 明治 年四月一三日 上海学校ノ件渡清希望者続出ノ見込ミ 有吉家ナドモ用意出来ノモヨウ 難問ハ友枝渡航ノコト 彼ノ渡航実現セズシテハ万事不都合コノ件ノ取扱イ意見伺イタシ
  • 51 明治 年五月六日 (佐々友房・古荘嘉門宛)山林一件八頭ニ人ヲ得ザレバ運動進マズ 運動費ノ支弁規約ニヨレバ野生ニオイテ処理可能
  • 52 明治 年五月一六日 別紙供覧添状
  • 53 明治 年七月一一日 山田通報ニヨレバ〇〇ノ議ハ古荘イウトコロト相違四天隊戦死者名録ノ記愚意添付
  • 54 明治 年八月一三日 所用不参
  • 55 明治 年八月二一日 明日台湾事業ニ関シ会合 同時刻済々〓ノ会議出席不能
  • 56 明治 年九月九日 高見林泉翁出発ノ時依頼ノ書籍類上京ノ折携帯願ウ
  • 57 明治 年一〇月四日 東京ヨリ土地一条来報 切迫ノ模様ナレバ一覧乞ウ
  • 58 明治 年一一月五日 馬関飛脚船ノ都合如何 来電ニヨレバ分離決定ノヨシ同志失望 大兄ト決定セシ六策モ水泡ニ帰ス 自由党ニ笑ワレザルヨウ公明正大ノ処置ヲ願ウ
  • 59 明治 年一二月二三日 撞木一条別紙返電届ケ
  • 60 明治 年 月一九日 久能賢就来訪通報
  • 61 明治 年 月二二日 奥村同行ノ件承諾ノヨシ 内田康哉書翰
  • 明治 年一〇月一八日 帰朝以後多忙ニテ失礼 古城・狩野ト行違イ帰朝 西公使書翰トモ三通送付ス →F
  • 六五、 内田雄蔵書翰
  • 1 明治 年八月七日 藤井哲三養子ノ件ソノ他
  • 六六、 宇都宮太郎書翰 〓(カ)
  • 1 明治二六年八月七日二三日前海軍大臣ヨリ各鎮守府司令官及ビ艦隊司令長官ヘ秘密命令アリ 常備艦隊ハ佐世保 集合至急予備艦就役ノ命ナリ
  • 六七、 山田信道書翰 一八三三ー一九〇〇 肥後勤皇党出身 明二年弾正少忠 鳥取県令 福島・大阪・京都各府県知事 農商務大臣 会計検査院長 男爵
  • 1 明治一二年二月二〇日 (佐々月戸宛)令兄加養ノ為メ出獄雀躍ノ至リ一昨年ノ行跡深ク悔恨ノヨシ尤モナリ 旧 藩士賊名ヲ負イシハ遺憾ナレド行跡ハ時ノ勢イニナルモノ 同人ノ身上来意了承 当年中ニハ廃疾者尋常犯同様ノ処置ト内議ノ模様
  • 2 明治一二年八月二二日 (佐々正之宛)尊父ノ死去哀悼 来意ノ原案私見ニテハ困難 尋常ノ法律上受付ケラルル見 込ナシ一ノ特例アリ 免ヲ訴ルノ告訴状ヲ県庁経由ニテ司法卿ニ提出 同卿至当ト認ルトキハ大審院ノ覆審ヲ求メ得ルベシタダシ令兄ノ場合懸念ナキニアラズ府下平穏グラント接遇ニ関シ某々等虚名ヲ外国ニ売ル者トシテ斬殺ノ張紙コレハ民権党ノ所為トイウ
  • 3 明治一三年三月七日 去月一三日特旨放免恭悦四五年都下ノ模様ヲ見聞ノ上将来ヲ画策アルベシ 県下ノ模様不 明 池松書翰ニヨレバ民権論盛ンナルヨシ 規則書等モ送リクレタリ 国会開設近キ将来実 現セン 民権論中我国体ニ不利ノ議論モ起ルベキカ 県下有志素論ヲ確定シオクノ必要
  • 4 明治一三年五月一三日 東京安着 条例発行後国会論モ鎮静 〓(カ)
  • 5 明治一四年八月一九日 古庄着セシナラン手違イニテ相談ナラズ 淳次郎様ホカ懇談コレマデ事業モ今日アルヲ期シタルニテ一同賛成 吉井モ賛成薩肥結合ニ川村ト相談アルベシ 矢野文雄 池松ノ所為シヨセン和合ナルマジ 古庄アルイハ池松主義カ 岡ニヨレバ実学ハ異議ナシトイウ 薩行急ガレタシ
  • 6 明治一四年八月二七日 (佐々友房・高橋長秋宛)安場・古荘到着会議ニ着手カ 住谷出府例ノ草案異議ナク服部等ト相談セントナリ 家内両人痢病発セシヨシヨロシク手配ヲ願ウ
  • 7 明治一四年一一月二六日 (佐々友房・岡次郎太郎宛)着任以来事務繁雑中ナリ 熊本新聞ニヨレバ嘉悦・山田等分離セリト 彼等主義ヲ異ニスル者ナレバ分離然ルベケレド 彼等ノ主動ニョルハ残念 両君善 後策ニ帰国アルベシ八代辺ナオ未決ノ模様ナレバ安場等トモ画策アリタシ 当県下親睦会 発会将来ハ我政党ト合スベシ 〓(カ)
  • 8 明治一五年二月一〇日 (岡次郎太郎・佐々友房・高橋長秋宛)開庁以来多事 嘉悦等三社結合シ紫溟会ノ障害タルヨシ彼等ノ主権論ハ吾国ニ不適当 古庄ヨリ金穀ヲ官ニヨル策ヲ申越ス八年ヲ維持スル良 策ナラン 〓(カ)
  • 9 明治一五年八月二三日 (佐々友房・高橋長秋宛)国許留守宅ノ不始末古荘ヘ依頼シ置ケリ 高橋ヨリノ書面鎌田トモ協議古荘ヘ話置ケリ 朝鮮ノコト平和ニ治ルベキカ 政党ハ都合ヨロシト結構ナリ 〓(カ)
  • 10 明治一五年九月一〇日 (佐々友房・高橋長秋宛)朝鮮事件無事結局 各政党モ平穏 留守中ノ不始末古荘ヘ依頼ノ 趣本人ヨリ聴取願ウ 竹下鶴次郎 〓(カ)
  • 11 明治一六年二月一一日 政府内議吾党ノ主義ニ近ズク模様 国土ハ天子ノ国土ニシテ人民ノ共有ニ非ズ 人民ハ所用ノ権アルノミ 税法モ政事運用ノ資ニ私産ヲ出スニ非ズ 例エバ借地賃ヲ払ウゴトキ性質ノモノトノ義論盛ン 元老院モ半ハソノ論旨トイウカネテ熱論スルトコロ同志官途ニアル者 尽力中コレハ大秘密ナレド意見アレバ伺イタシ
  • 12 明治一六年六月二八日 済々校ヘ下賜金慶祝 高橋来訪巨細ハ本人ヨリ聴取アレ 事業云々ノ論目的ハ主義ヲ政事社 会ニ拡張スルニアリ一時佐賀行キノコト同意ハ致セシモ 岡・高橋等働キ手ヲ失ウハ本会ノタメニ好マシカラズ 古荘懸念アリ土方巡廻ニテ当地来レバ巨細含メオクツモリ 野上嘉三郎 島義之 岡本偉佐男 原作兵衛
  • 13 明治一六年七月七日 政党解散及ビ土地所有論ニツキ 私見及ビ土方意見ヲ述ブ 政党解散ハ学校補助金ニ関連ノ 為メカ 賜金モ受ケ既ニ政党外ナルコト証アリ 丸山等ト同時解散ハ不可 高知高陽会盛大トイウ 紫溟会独立独歩タレ 土地所有論木村ノ来状不可解 木村ノ意見ハ井印カ井印ノ後ロニ伊印アルベシ
  • 14 明治一六年八月四日 自由党陸奥・星ナドモ同盟 板垣ハ仏国政事家ヲ招待ソノカヲ借ラントスルヨシ 吾党解党 論ハ解シ難シ 土地所有権問題伊藤帰朝セバ議論アルベシ 紫溟会ノ見解承知シタイ 〓(カ)
  • 15 明治一六年一二月一四日 伊印意向不明ノトコロアリ後便ニユズル 紫溟会ヲ学校一本ニマトメルコト内決ノヨシ 政 党ヲ解クハ良策ニ非ズ 解党論ヲ主張スル者アレド自由・改進ヨリ採用スルワケニハユカズ 政府一政党タルハ免レザルトコロ 解党ノ形ハ政府ニ左右セラルル印象ナレバ不可 右ハ井 ・古アタリノ術策力
  • 16 明治一七年一月五日 地方官会議席上伊印演舌大意 欧州ノ政事家・学者ノ論 自家ノ時評古荘奉職ノコト 井 印伊印ヨリ疎外サレ朝鮮公使ヘ転出ノウワサ
  • 17 明治一七年三月二六日 私上京ノ都合ハ北海道移民ノ件ニテ未確定 深野警部長会議出席ノタメ上京ノハズ 紫溟会 改組好結果ヲ期待 井印王土論ヨリ隔意ノ模様ナリ注意ヲ要ス 〓(カ)
  • 18 明治一七年四月二四日 深野モ上京 来月半バ頃ニハ北海道行キノツモリ往復ニ寛話イタスベシ 巨細深野ヘ話シ置ケリ 同人僕代理ノ心得ナレバ十分ニ談合クダサレタシ
  • 19 明治一七年五月二四日 深野ヘ伝言セシ一条着手結果良好ノヨシ 伊印針路ハ独国論ヲ脱セザルカ 人アリテ国ノ名アリノ論点一応ハ同ジヨウナレド毫厘ノ差モ千里ノ開キトナルソノ辺安印ハ不得手ナレバ注意アレ 井印トモ談合サレタシ
  • 20 明治一七年八月二八日 北海道巡視ニ出発 帰途東京ニ立寄リ白木等モ上京ノコトナレバ百事ソノ期ニ譲ル 生駒・ 美濃部・高橋任用ノコト
  • 21 明治一八年三月一日 旧臘帰国ノヨシ清国ノ現状如何 朝鮮事件何方モ憤激 支那談判ノ結果ニチハ天下ノ形勢一変 非戦論者モ心配 福井県私立学校設立ニ済々校則ヲ所望シ来レリ一層ノ負担アランモ二十三年迄担任乞ウ 御婚儀相済ミノヨシ慶祝 紫溟日誌儒学臭ヲ去リ 和魂洋才ニテユクベシ
  • 22 明治一九年一月一五日 旧臘政府ノ改革ハ感心二三年ノ基礎確立ニツトムルト見エタリ 高原非職安場ヤ古荘等ニ後ノ身分ヲ依頼セシモ未ダ朗報ヲ得ズ 然ル時ハ熊本カ小生手許ニテ適当ノ席ヲ見出スヲ 要ス 藤村ヨリ宮部等ノ名前中黒瀬市郎助・上松巳八ノ名前ヲ洩ラセリソレノ差加エ方依 頼アリ
  • 23 明治一九年三月一五日 案内状
  • 24 明治一九年六月二二日 書籍送付感謝 吾党ノ大敵カ 駁論モ送付乞ウ九州改進党小倉ニ会合ノヨシ 上告一件松 井検事ニ連絡ヲ取リシトコロ正当ノ裁判努ムベシノ返書アリ 県庁総免職空気刷新 府県制 度発布ヲ待望
  • 25 明治一九年一一月一三日九州鉄道株券ノコト 株金募集ニハ事業ノ利害ヲ審ニシ政府補助ノ有無収支見込等ヲ明ニセザレバ勧誘ハ難シ 熊本県鉄道布設調ハ表面上ノ調書ニテ信用ヲ得難シ 富岡・安場・鎌田ノ人物注意アリタシ 政府補助ニヨリテハ自分藤村ト相談千株位見込アリ 株数ニヨリ社長ヲ争ウハ将来ノ為メ不可 政府補護ヲ盾ニ同主義ノ人ヲ政府特挙トシテ社長タラシメン
  • 26 明治一九年一一月一七日 吉井来話九州鉄道安場帰県前ニ政府許可ト補助ヲ交渉ノハズ 許可ハ差支エナク補助ハ四歩位カトイウ 株金募集ハ測量確定シ収支見込ミ立タザレバ不可ノ意見 外国人ヲ雇入レ測 量収支ノ見込等調査が緊要 基礎立タズシテ政党が表面ニ立ツハ寒心スベシ 政党競争ノ形ナレバ社長ハ党外ナラデハ政府認可スマジ 追伸、済々校水戸学ニ於ケル漢学ノゴトク洋 学ヲ我主義拡張ノ方便トセン
  • 27 明治二〇年一月四日 学校合併論イカナル間違イナラン 昨冬井上ニ面会 高等中学設立ノ森大臣内意ニツキ済々 校ヲ充テナバ如何トノ相談ニヨリソノ不可ヲ論ジ井上モ同意セリ 別ニ高等中学ヲ設立スルハ県内ニ方法アラントイイ置キ県会ノ尽力ニ井上満足セリ 井上モ小生ト同論ナレバ山下 等ニ懸念無用 鉄道ノコト少シハ安心 貴兄ハ関係サレザルヨウ 白木ノ責任ニイタシタシ 池辺 国友
  • 28 明治二〇年五月一七日 府下ノ事情傍観ノ外アルマジ 嘉悦等ノ協和論ウマクユカザルヨシ 鎌田ニヨレバ学資金纏ルヨシナレド富岡帰県ノ上着手トアレバ懸念アリクナイス講義オ世話サマ写字料申シ越サレタシ 鉄道落着ト鎌田申シ越セリ
  • 29 明治二〇年六月一五日 古荘紙面少シ思イ過ギカ七八月ノコト懸念ニ及バズ 御地好都合鼻等失墜云々準備ノ第一 富翁都合宜シキハ結構 古荘第一高等中学校長 藤村山梨出立前河村顧問ト内話ノヨシ 黒八西郷ノ帰リヲ待ツヨシ
  • 30 明治二〇年八月四日 内幕事情ニヨリ東行云々ハ小生同案 谷ノ動向新聞ニテ知ルノミ 条約改正ノコト精シクオ 知ラセ乞ウ 服務規律ノ改正ヨリ見レバ少シハ自覚シタルカ 富岡一条ハ残念 森ヘ直談判
  • シテハ如何 藤村ノコト 〓(カ)
  • 31 明治二〇年八月二〇日 今日ノ事体建白書ヲ個人ニテ差出スハ不得策 谷ノ進退ハ一己ノ進退ヲ潔クセシニ過ギズ 紫溟会員トシテ兄ノ進退ハ同視スベカラズ 名ヲ捨テ実ヲ取ルヲ希望ス(後文欠)
  • 32 明治二〇年一二月三一日 上京首尾ヨロシク安心 森ノ厚意信用ヨリ出デシナラン 津田モ帰県計画実行方祈ル 保安 条例ニヨリ形勢一変カ 富翁彼等ノ攻撃ニ困リオルヨシ 鉄道株券 先妻負債ノコト
  • 33 明治二一年二月三日 大印外務ニナリタルヨシ 如何ナル折合ナルカ懸念アリ 株募集ノコト
  • 34 明治二一年三月三〇日 府下ノ様子ハ牧・高島ヨリ聴取アレタイワイ入込ミ以来変化見工河印ノ話デハ大印ハ黒 ・伊ト密着ノヨシ暫ク観望スベシ 鉄道株ノコト 学会規則書 岡帰県済々校及ビ学会ノ出 納規則確立アレ
  • 35 明治二一年五月一日 鉄道株券一条配慮ヲ謝ス 書類落掌 政府改革結果如何コノ度ノ趣向ハ我儘ヲ制スル効ハアルベシ 寺島・河野ノ手際が見モノ 伊印モ少シハ骨ガアル模様 鎌田交換副島・佐野主 張ノヨシ如何ナル理由ナリヤ
  • 36 明治二二年五月一四日 湯治中オ申越シ人物ニ面会出来ズ 病中ノヨシ大同派大会後ニオ出懸ケカ 磐城浜街道筋巡 視ノ予定 古荘辞職ノ趣
  • 明治二二年九月三日 只今湯治中 送致ノ案一閲 安場ヨリ返事ナシイカガノ模様ナリヤ通報願ウ 新聞ニヨレバ英ヨリ異議申立ノヨシ 事実ナレバ井印目算ノ通リカ 今後ハ在野尽力功果アラン → 国上
  • 明治二二年九月三日 問答書ハ警察ヘ渡シズミニテ影響懸念アレバゼヒ入用デナケレバ見合セ乞ウ 山形帰朝スレバ黒白ノ判イタスベシ →国上
  • 明治二二年九月九日 攻正中止ハ世論ナランモ政府ハ行懸リ上決行ヲ口ニスルナルベシ 内心反対ナレバ表面帰化 則中和論者アリ狙イハ中止ニアレバ在野反対者ハ連携ノ必要アリ終局ハ帰化論者ノ方針ニヨリ勝チヲ占ムル外ナカルベシ 英・伊異議ヲ唱エ井印ノ見当適中ト見ユ 告知書取消シ中 止ニ至ルノ策上策 批准云々ハ最後ノ秘決ナリ →国上
  • 明治二二年九月二六日 帰県取止メノヨシ安心 内情通報心得ニナリタリ 山県帰国ノ上ハ如何ナリ行クヤ待チ遠シ 大隈問答書梧陰ニ送レリ 山県帰国前ニ彼等準備セン 我党モソノ心得ニテ注意スベシ →国上
  • 37 明治二二年一〇月一二日 模様ヨロシク大賀 山印ヘハ梧陰随行安心 山印ニ書面ニテ注意セリ 後報ヲ待ツ
  • 38 明治二二年一〇月一六日 日誌ニ伊藤辞表呈出トアレド状況不明 焦慮ニ堪エズ通報乞ウ安場書状持参黒岩警部来ル 安場苦慮内相ヘ伺書出シ草案ヲ送レリ 良キ方法トハ思ワレザレド都合ニテハ着手ノ手段モアルベキカ
  • 39 明治二四年一二月二日 緊急勅令ニテ衝突ヲ来サンカ 解散モ近カラン 担保一条野村名儀ニ書替エノ外アルマジ 相馬・安場トモ相談乞ウ
  • 40 明治二五年六月一六日 議会ドウヤラ閉会 予期ノ通リ変動ノ徴候一ハ伊藤ヲ押立テ黒幕総出一ハ松方ヲ捕獲二三ノ首差替エ説 前者ハ聯立後者ハ不十分ナガラ是レマデノ方針通リトナラン 聯立防禦策 尽力願ウ 〓(カ)
  • 41 明治二五年六月二八日 松方訪問大浦・西郷・井上モ来レリ 参内前面談政府ハ社交倶楽部ヲ設ケル案ヲ具申元 老ト相談スルトノ返答ナリ 薩長一致同感ナリトノ意ナレバ高島ノコト双方譲合イヲ了承セシト見受ケタリ
  • 42 明治二五年一〇月二九日 品川ノコト一時都合悪クナレド 高島モ参リ好転広瀬ヲ遣セリ 実業家モ鴻池初メ四十名今 夕会合 郡部モ好都合ノヨシ(後文欠)
  • 43 明治二六年一月二六日 停会事情報知感謝 小生推測ニテモ姑息策トイウベキカ 停会後ノ処置安危ニ係ルベシ 解 散ニ二様アリ 憲法停止ノ目的ニ出ルカ 多数ヲ利スルノ目的カズレカ政府決意スレバ 解散モ得策ナラン 予算不成立ヲ目的ノ停会ヲトリ 海軍費ノ勅令ソノ反動地方ヲ襲ウニ至ラン(後文欠)
  • 44 明治二六年二月一二日 山崎派遣ノ書状落手 山下ト相談 民党モ運動シオラズ味方モ手控エ然ルベシトノ見込ミニ付 模様ノ上電請スベシ 議会ノ模様民党詔勅ヲ奉ジ和協ノ実ヲ挙グレバヨシ 探偵ノ結 果ハ左ニ非ズ政府姑息策ヲトル時ハ目白先生断乎決意アルベシ 松方・高島来阪中未ダ面会セズ
  • 45 明治二六年三月三日 肋膜炎ノ様子養生アレ 議会閉会将来ノコト懸念 広瀬ノ話自分想像ト同ジ 政務改革彼等ノ満足ヲ求ムレバ民党ノ主張通リ実施セザルベカラズ 内閣如何ノ考案ナリヤ 井毅近頃啄ヲ容レオル様子 如何ノ考ナリヤ通報乞ウ
  • 46 明治二六年三月三一日 高橋帰リ病状承リ安心 政界ノコト如何落着クヤ 当方モ書記官転任警部長非職 手足ヲモガレ困却
  • 47 明治二七年五月二三日 議会一勝一敗配慮アルベシ 新聞一条纏リタル様子 直温上京高僑モ上京中ナレバ談合アレ 上奏案失敗 変節議員攻撃厳シク 府下出身土井・佐々木ノヤムヲ得ズ不同意ヲ表セシ者ヲ 敵方ニ廻スニ到ルベク 局面一変セバ自由・改進・革新スベテ敵党タルベケレバ同主義ノ人ヲ攻撃スルハ注意ヲ要ス
  • 48 明治二八年一月八日 例ノ一件内情承リ安心 白根ヨリモ通知アリタリ 井上危篤気ノ毒 清浦等ノ尽カニヨリ子 爵ニ叙セラレタリト本人モ満足ナルベシ 養子ニ岡松二男モ極リ配慮アリタルナラン
  • 49 明治二八年一一月二六日 政海模様報知心得ニナリ感謝 松方当地滞在同人ノ見込ミニテハ伊印モ安定安場ノ模様一昨年ニ立戻リタルトノコト 小松原ヨリ廻付ノ安場書面ニ先年ノ白根初メ連名書付ヨリ自 分一人取消シクレトアリ 政事上所感トノミアレバ白根ニ面会ノ節安場模様オ尋ネアリタシ
  • 50 明治二九年一月二二日 安場当地来リ 高橋・沢村列席数時間寛話ツトメテ政事談ヲ避ケタリ 承知アレ 議会無事 通過セン 伊印閉会後引退カ 後任ハ山印ヲ期待 自分叙爵内定ノ報知感謝
  • 51 明治二九年二月七日 政海模様品川ヨリ巨細承知 野村辞職 江木転任ソノ後任ヨリ見レバ伊東・末松等自由結托 派勝チ非結托派敗レタリト見ユ 政府ハ自由党ノ意ノママ新聞集会等ノ条例ハ取リ上ゲラレ 利機ナクシテ戦争ニ至ルノ形勢トナラン 対策如何国民党中ノ趣向品氏ヨリ承知尤モ然ルベシ
  • 52 明治二九年四月一四日 板垣内務トナリタル上ハカネテ結托仲間辞職ノ取極メ 大浦上京白根・清浦・松平ト協議ノ上報道ノハズ 辞表提出セバ報知イタスベシ 尤モ自分暫ラク京都滞在高橋・甲斐等ト通 報ノ便利ノ為メナリ 昨日ノ閣議ニ白根同意ノ押印セシカ 同人ノ進退大浦等ト協議乞ウ 〓(カ)
  • 53 明治二九年八月二八日 松印ヨリ探知ニハ伊印困却シテ板垣ニ折合イ松・隈ノ入閣遠カラズト 高島松方ニヤリ付ケラレ運動始メシヨシ清浦情報ニ来月十日頃結局カ 高島板垣ト懇意ニナリシトカ是ハ手段カ 当月中山印マデ模様判明セン
  • 54 明治二九年九月三日 山・松両氏滞洛中ニ付第一ニ山侯決心ノコト極論 松伯ヨリモ勧メタガ病気理由ニ拒絶 両 人相談山県決心セズバ入閣謝絶ノ旨自分ヨリ申入レ 松方ソノ他ヨリモ勧メ漸ヤク決意ニ傾キタル模模 同人首相タラバ内務ハ樺山カ白根 西郷ハ陸軍樺山海軍トセバ白根然ルベシ 品川農商務カ文務 白根内務ナレバ次官ハ松平然ルベシソノ後任大浦適任ナレド警視総監ニ擬セラレオレバ小松原カ
  • コレモ内閣書記官長ナドニ必要ナレバ考案中ナリ
  • 55 明治二九年九月二二日 新内閣山県立タズ松方ニ落札 今後ニ懸念アリ 樺山内務ハ適任 松平次官ニ内決 園田ノ 跡大浦適任ナレド山田〔為喧〕内決ト聞ク 山田ヲ松平後任ニ廻スヨウ清浦ヘ申送レリ 松方内閣高橋健三ヲ書記官トス内閣政策ヲ過ルカ 大隈入閣モ不審ナリ 責任内閣論ヲ主張ノモヨウナレド大隈持論ノママ入閣セシナレバ進退ヲカケ論ズベシ
  • 56 明治二九年九月二六日 新内閣略内定ノヨシ 大隈入閣ノ条件懸念ナレバ探知方依頼ノ次第 清浦報知ニヨレバソ
  • ノ条件モ自然消滅ノ形ナリト 板垣ト違イ表裏ハカリ難ケレバ油断ナラジ 内務次官更迭ハ 猶予アルモヨウナレド松平ノ後安楽ハ好マシカラズ 大浦ナレバ好都合
  • 57 明治二九年一〇月一四日 松平同行樺山・松方・高島訪問イズレモ帝室内閣主義ニテ安心 松方・樺山演説承知ナラン 松方演説第三項集会出版ノ項疑問アリ 質問セシトコロ大隈制御ノタメ妥協ナリト 進 歩党不満ナレド有利ニ解釈賛成ノモヨウ 自由党ハ松隈攻撃 大隈ハ子分ニ攻メラレ苦心トイウ
  • 58 明治三〇年一一月二四日 政界憂慮相談シタシ 自由党提携纏ラズ黙契ノ程度カソレニテハ増税案通過不能ナレバ地 価整備派ノ協カヲ求ムルノ要アリソノ辺着手ヲ乞ウ 品川トモ相談解散ニ至ルノ見込ミナリ 樺ハ風向キオカシク為ニ松等ノ腰ヲ弱メルノ懸念アリ
  • 59 明治三一年六月二七日 別紙平田書翰ノ如ク西郷留任トハ驚キタリ 同人辞退セシムルノ手段ナキヤ 留任セバゆだ 坊主ト確定セン 付、山田宛平田東助書翰一通 陸海両相留任ノ通報
  • 60 明治三一年六月二九日 今朝目白ニ行キ相談 見込ミ悪シ明朝来車ヲ乞ウ
  • 61 明治三一年八月一二日 徳久赴任話合イ都合ヨロシトノコト彼ハ吾党ノ士ナリ 撰挙ノニ区ハ残念 松尾ト村上ニテハ松尾ニ敵シ得ズ古荘首尾ヨク満足ナラン 御地書記官彼党ノ人物ニテ或イハ徳久ノ監督カ
  • 62 明治三一年九月一一日 徳久上京郡長不更迭ノ方針ニテ板垣ト話合エリ 松山申立ニ県庁・郡役所モ国権党 学校迄 党派学校ナリト 松山申立ノ実情卜相違ヲ申入レ了解ヲ得タリト 郡長一条ハ松山等ニ約束セシ模様ニテ天草・上益城ダケハ更迭スベシトイウ 〓(カ)
  • 63 明治三二年二月五日 検査院法配慮ニヨリ自由党トモ交渉妥結安心セリ 新政党ノ主意書新聞ニテ拝見諸方ノ取 纏メ如何カ
  • 64 明治三二年二月二二日 山県新政党組織ニ懸念セリ 検査院カ湯島カ来車ヲ乞ウ
  • 65 明治三二年四月二四日 新政党主意書上出来 藩閥云々ハ少シク目障リナレド党略上止ムヲ得マジ
  • 66 明治年二月二七日 昨夜ハ留守ヲイタシ失礼 湯地一件安印ハ素志ヲ達スベク 懸念ニ及ブマジ
  • 67 明治年六月二六日 目白ヨリ帰宅オ話シアレバ来臨乞ウ 西郷ヘハ必要ナケレバ行カズ
  • 68 明治年七月三日 咋夜帰京ノヨシ安場滞京中ナリ 今晩都合ヨロシケレバ来臨乞ウ
  • 69 明治年七月六日 申越シノ旨了承 右一条今春ノ手続ニヨリ申サズマトマル見込ミナクイズレ品川マデ寄送スルコトトナラン
  • 70 明治年七月一七日 今朝ハ失礼 明朝拝眉ノ節申上グベシ 山県有朋書翰 〓(カ)
  • 明治二五年一二月一八日 (品川弥二郎宛)昨日大隈伯ヲ早稲田邸ニ訪問ノ有無照会 右ハ小児死去ノ節ノ答礼 生ノ 訪問ガ政党社会ニ疑団ヲ生ゼシナレバ 其人ト面談論議ヲ尽シタシ →F
  • 明治三五年一一月三日 大演習相済ミ同慶オ持チ帰リノ歌改作取リ換エ願ウ 付、歌二首 →F
  • 六八、 山口素臣書翰
  • 明治 年三月一八日 相談アリシ学校操練教官ハ官公立学校ノ外不許可トナリ他ニ方法ナキヤ思案中ナリ →F
  • 1 明治 年五月一二日 本日上京 林田鉄男子一件七月後ナラデハ見込立タズ 自分帰熊マヂ猶予乞ウ
  • 2 明治 年八月二七日 林田鉄男子一件採用ノ見込 微職ナレドシバシ我慢アルベシ 山川浩書翰
  • 明治二二年一〇月六日一咋日後藤ニ面会閣議一条迫リオキタリ 山田イウニ憲法ニ背カヌ限リ此条約ヤリトウスト 先日三浦ノ許ニテ聞キタル秘書官談ハ相違ナシ 今朝将軍ニ面会 後藤ヘ行クトノコト好都 合ナラン 自分明朝山県ヘ参リ土方ヲ訪ウツモリ 閣議開催ガ先決 伊藤陪食 大学ヨリ山 県ニ忠告書ヲ送ルヨシ 各大学法科ハ木下ヲ除キ因循 芋ノ様子奇怪ナリ →国上
  • 明治二二年一〇月一四日 (佐々・古荘・柴宛)本日聞込ミナシ 大隈方ヘ大臣参集但シ後藤・榎本ハ加エラレザル 模様コノ評議聞出シ願ウ 枢密会議ノ説アリ 真否如何 →国下 〓(カ)
  • 明治二二年一〇月一六日 クラブヨリ帰宅 聞込ミナシ 御前会議後藤ノ議論山県賛同シ不同意ヲ表シタル由 枢密ハ 大事 明日勉強シテ数多ク枢密先生ヲ訪問スベシ →国下
  • 明治二二年一〇月一七日 (佐々・古荘宛)枢密ノ模様好都合 新聞紙ノコト心配 同志新聞ハ記事ヲ慎シミ秘密ハ他 新聞ノ記事ヲ待チテソノ実否ヲ訂スルコトトシタイ 昨日ノ日本記事ハ失敗 記事ヲ慎重ニ セザレバ入ルベキ情報モ入ラザルニ至ルベシ →国下
  • 明治 年八月一一日 (佐々・柴宛)将軍ト面談ヲ遂ゲ明朝出発 多忙ニテ訪問出来ズ →国上
  • 六九、 山畔止戈書翰
  • 1 明治一二年七月六日 獄中消息 矢野文雄書翰
  • 明治二二年四月九日 出京ノヨシ 貴答遅延舞謝一一日ヨロシケレバ御出待ツ →F
  • 七〇、 安場保和書翰 一八三五ー一八八九 時習館 横井小楠門ニ学ブ 福島・愛知・福岡各県令県知事 元老院議官 北海道長官 貴族院議員 男爵
  • 1 明治一四年一一月一三日 (佐々・堀田・宮川・白木宛紫溟会委員書翰)紛議出来 山田・嘉悦・岩男他退会通報 〓(カ)
  • 2 明治一九年七月一七日 (佐々友房・白木為直宛)ゼヒ御用談ノ件アリ 来車ヲ願ウ
  • 3 明治一九年八月三日 (佐々友房・沢村大八宛)官制発布多忙 鉄道一条県内取調べ結果ヲ携行小山政蔵ヲ派遣 諸先生ヘ面談ヲ願ウハズナレバ垂示ヲ乞ウ 地方官制面目ヲ改メタルゴトクナレド 地方長 官ノ撰任ハ歎息ノ至リ 内務大臣ノ手際落胆失望セリ 村上義雄・近藤宗治等糠慨ストイウ 井上野州辺旅行 古荘心事如何アラン
  • 4 明治一九年八月二五日 小山政蔵派遣本県ノ意見了承アラン
  • コノ事業九州ノ一大事業ナルモ早急ニハ運ビ得マイ 鎌田ヘモ石黒技師同道ノ折談合 両県有志ニ談ジ見込立チタル上参熊セン 長崎ノコト意外 清浦モ出張ノヨシ 湯地丈雄ヲ派遣セリ 井上ヘ暗号発信セリ 済々校ノコト成案送リクダ
  • サレタヨシ内外御苦心ナラン
  • 5 明治一九年八月三〇日 井上ヨリ水兵ノ喧嘩オサマルベシト返事アリ清浦直チニ帰来ノハズ 長崎ヨリ朝鮮情報国王 保護ヲ魯ヘ依頼 清公使韓廷ヲ威嚇 電信局支那官吏占拠シテ不通 湯地情報
  • 6 明治一九年九月一五日 鉄道一件問合セ同封返書アリタリ 当県モ各郡有志懇談会催ス予定 都合デハ鎌田トモ参熊セン 長崎談判進捗ナシトノ湯地ノ話ナリ 付、安場宛鎌田景弼書翰九月一一日付一通 富 翁ハ鉄道一条世論不一致ヲ恐ル 各郡資カナク佐賀ヲノミアテニセリ 治水国道事業ト競合 困難ノ景状ナリ 石黒再来必要 奈良原ノコト
  • 7 明治一九年一一月二一日 (佐々友房・白木為直宛)御地ノ景状富岡ノ報知及ビ新聞ニテ承知 大倉喜八郎 伊集院兼 常来県 当地銀行頭取小川久四郎上京 事態遷延ニ私上京ヲ促シ来レリ 伊藤・山県・井上 松方等ノ添書伊集院持参イズレモ賛成ニツキ出願急グベキカ 用意整イ次第出発ノツモリ 右様賛成ノ決議願ウ
  • 8 明治二〇年三月一六日 談話会一九日ニイタシタシ 井上・山田・鎌田ヘ通知アリタシ 前田ノコト品川ヨリ拒否 後任ニ困却 奈良原ヲ上策 第二ニ西村捨三
  • 9 明治二〇年四月二三日 (前文欠)明石ノコト岩男ト談合 校長異見アリ急ニハ運ビ難シ 教員幹事等ノ手際見タ上デ処遇スルノ返答ヲ承リソレニ依頼セリ 〓(カ)
  • 10 明治二一年一二月一四日 佐々木・谷ヘ面談ノコト両人モ承知 両人及ビ吉井・税所・得能等世ノ風俗ヲ歎キ元田ヲ招イテ論語講義ヲ初ム 親睦会ナレド政談ニワタルベシ 此会ハ米田家ヲ引出スツモリ 東北 諸県ノ老輩モ参加ソノ他
  • 11 明治二四年一二月一一日 (佐々友房・古荘嘉門宛)高橋書翰廻付担保困難第三策ノ外ナシ 藤村ノコト相談ヲ要ス 高橋上京ヲ促シタク連名発信願ウ 山野炭山熊本ノ都合アランモ技師迎エニ参ルベシ 付、 安場宛高橋書翰一二月五日付一通 担保始末山田名義ニ切リ替エ分劃登記ニスベキカ 炭 山起業金策未ダシサシ当リ二万千円ヲ要ス二三千円整イ次第山野ヘ参リ取調ベスベシ
  • 12 明治二六年一二月二四日 母病気外出ナラズ 政府買込策ヲ主トシ協会過半ヲ買収セリトイウ 野村靖周旋セシヤニ聞ク実情ハ如何 高島書状ヲ廻付 付、米田・安場・佐々宛高島書翰一二月一九日付一通 海辺新地処分事件ニツキ飽田郡沖新村出張現地報告
  • 13 明治二七年一月一四日 牧ヨリ内話ノ一条松方ヘ急ニ持出スコトモ揮リアリ 牧ヨリ内密通知スルコトトセリ 東北二十四県会景気良ク協会員二名増ノ見込 国家主義同意者ヲ加エ十三人増加セン 関西ハ是マデ通リトシテモ政府ノ目算トハ大差ヲ生ゼン
  • 14 明治二七年五月二一日 津田殖民ノコト 稲垣万次郎松方伯ヘ異見申立テ 松方ノ伝言稲垣ヨリ津田ヘ書状アリシトイウ 松方ヘノ書面写取リ意見ヲ付シテ津田ヘ申送リタケレド松方不在
  • 15 明治年一月二九日 松方ノ方不明井上ヘ相談ノ次第拝承 県下・熊本トモ困難ノ事情津田ヨリ申越ス 借区税金 策東京ヨリ頭山電信為換ニテ急場ヲシノゲリト 井上ヘ依頼心配中トノ御報ソノ後如何 内 閣ノ都合大印伊印云々左モアルベシ
  • コノ一ト幕後一洗濯ヲ要スルナラン松方ヘ端緒ヲ申 送レリ
  • 16 明治年五月六日 (井上宛)文部ハ取止メノ外アルマジ 清浦ト相談前田利充ハ東京希望ニテ周旋人ハ有力筋ノヨシ 司法大臣ヘ検事採用方依頼シテハ如何三島ヘハ私ヨリ話見ルベシ
  • 17 明治年九月九日 砂取ヘ参上ノ時間ナク子飼ヘハ面談紫溟会員タルコト決定ニ至ラザリシモ天下ノ大勢ト会 設立ノ真意ハ説明シオケリ 夕刻田尻手詰ノ談判ノ筈
  • 18 明治年一二月二八日 (佐々友房・白木為直宛)集会ヲ願イ結果ノ不始末恐縮ソノ挽回策ヲ考慮中 富岡翁ソノ 他一統ヘ詫ビ労相談マデ蒲瀬属官ヲ差向ク 再会ノ都合等御談シ願ウ
  • 八代六郎書翰
  • 明治三七年一〇月二〇日 日露係争遂ニ干戈ニ訴ウルニ至リ 連戦連勝旅順陥落モ目捷 元老中平和ヲ望ム声アリト聞ク 如何ナル条件ナルカガ肝要ナリ 愚見次ノ如シ一、韓国ヲ領有又ハ保護国二、満洲 開放三、沿海州・樺太譲渡四、中立遁入ノ軍艦ヲ我ニ交付五、軍費賠償 講和ニ至ラザルトキノ戦略及ビ持久戦対策 →F
  • 七一、 横井時雄書翰
  • 1 明治二六年三月二五日 問合セノ儀別紙人名貴覧ニ呈ス 組合教会所属ハ人ニテ和田正脩・吉田作弥・徳富猪一郎トハ昨今関係ナシ 金森通倫宗教ト縁ヲ断チオリ 金森・徳富ハ同志社々員ノ関係ハアリ
  • 七二、 渡辺洪基書翰
  • 明治二六年三月二八日 国民協会退却ノコト不本意推察乞ウ 歌舞伎座団洲出勤一度御供仕リタシ →F
  • 1 明治 年八月三一日 只今着阪 相談ノ儀アリ光来願ウ
  • 七三、 金峰山人書翰
  • 1 明治 年二月一二日 黒川来訪代城ノ近況聴取 憲兵ノコトハ高岡ヨリ知事ヘ協議セシメン三名ノ弁士要請ナレド不在 壮士更二五〇名派遣ノ要求ナレド四〇名派遣ノ後募集困難 金支出明細 紫藤ノ話ニテハ第三区ヘ未支出ナリ 県内外出張中ノ壮士五〇〇引揚ゲニ千円ヲ要ス
  • 七四、 佐々友房書翰草稿一巻
  • 明治二六年五月二五日 (大院君宛)接遇感謝 呈詠草
  • 七五、 石坡大院君書翰一巻
  • 明治二六年 月 日 誕詠所感 唱和 書類の部
  • 七六、 明治新政関係
  • 1 建白類写
  • イ、 牧野遠江守上書 慶応四年二月一綴
  • ロ、 横井平四郎斬姦状 明治二年一月一枚
  • ハ、 東京ニテ中沼了三奏議 明治二年三月一綴
  • ニ、 教則三条 明治五年四月一綴
  • ホ、 島津父子上書 明治元年四月二五日一綴 へ、 洋式訓練廃止ノ上申
  • ト、 島津久光建言写 明治五年六月二八日一通
  • 2 上書、建白類
  • イ、 新知事様御直書写 明治三年六月一綴
  • ロ、 前知事様御建白写 明治三年八月一綴
  • 3 長州脱隊騒動資料 明治三年 合一綴 建白、檄文、騒動報告
  • 4 明治三年時事聞書写 明治三年四月一綴
  • 5 東京近状見聞記好事堂主人 明治八年五月三日一綴
  • 四月一四日ヨリノ政府内ノ動向近事ヲ録ス 筆者好事堂ハ佐々友房カ
  • 6 今代一覧表 明治九年一月一綴
  • 明治元年ー明治八年 年代記
  • 7 新政覧要巻一ー巻七 佐々友房・古閑俊雄編七綴 慶応三年正月九日皇太子践祚ヨリ明治七年六月八日柳原公使清国応接ノコトヲ報ズニ至ル編年記録
  • 8 国史攬要抜萃 笠間 棚谷某編一冊
  • 七七、 憲法関係
  • 1 〓*憲法草案并材料合一綴
  • イ、 草案 青木周蔵「帝号大日本国政典」
  • ロ、 主権 活版
  • ハ、 第四十七条立憲制中ノ王室
  • シェルチェー氏孛国々法 活版
  • ニ、 第四十七条立憲制中ノ王室
  • シェルチェー氏孛国々法
  • ホ、 主権ハ国王ニ属スルモノ乎将タ国民二属スルモノ乎
  • ボアソナード答議一八八一年一一月一五日
  • ヘ、 第四十七条立憲制中ノ王室(ハ)(ニ)同文 平田東助訳
  • ト、 〔執政ト国会英独両方ノ得失〕ロエスレール答議
  • チ、 〔仏憲法ニオケル法律ト人民〕ボアソナード答議一八八一年九月三〇日
  • リ、 日本憲按 日本国憲按・同準拠書目
  • ヌ、 土地所有参考 小中村清矩「上古土地景況概略」・「万国公法諸家説」・「原有権及国土主権説」 活版
  • ル、 〔土地所有布告〕
  • オ、 王土考
  • ワ、 土地所有考
  • 2 憲法草案 明治一三年一綴 元老院日本国憲按第三次案 (「〓*紫溟会ノ部」ニ収ム) 〓(カ)
  • 3 憲法草案 明治一四年一綴 全一二五条 相愛社草案ノ原案カ
  • 4 秘録 明治二〇年一綴
  • ロエスレル起案日本帝国憲法草案
  • 5 欽定憲法論一綴 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 6 クナイスト氏国会抄訳 明治二〇年五月筆写一綴
  • 七八、 政治一般
  • 1 政党考一綴 政党結社ニ関スルロエスレル・ボアソナード・アペル・ビードン答議 付、政治学政党編ヲ講ス 穂積八束 井上毅蔵書印記アリ
  • 2 井上先生仏国ヨリノ書簡写 明治六年一綴 井上毅滞仏見聞記
  • 3 大井憲太郎以下被告事件〓顛末概要 明治一八年一綴
  • 4 黒田清隆動静探索報告書 明治一八・一九年四綴 〓(カ)
  • 5 矢野文雄意見書 明治二〇年一綴 有志宛 今日ノ時務ヲ説イテ建白請願ヲ非トシ党勢拡張ニアリトスル
  • 6 近世史伯林会議 尾崎行雄一綴 東京専門学校講述録 佐々自註ニヨレバ 明治二八年一月六日 井上毅ヨリ贈ラレタルモノトイウ
  • 7 梧陰居士経済論一冊
  • 明治二〇年三月 克堂主人写
  • 8 西本願寺処世方針一綴
  • 明治二四年一月赤松連城起草ノ写
  • 9 〓*国有鉄道書類
  • イ、 鉄道国有意見書 足立孫六 明治三二年一〇一日 活版一枚
  • ロ、 鉄道国有実施方要領一綴
  • ハ、 鉄道国有法按一綴
  • ニ、 鉄道国有法按一綴
  • ホ、 〔内外債償却二鉄道国有化意見〕 明治三八年一通
  • 10 鉄道経営概要 明治三二年一二月一〇日一巻 付、 福原氏著跋文 明治三三年五月 鉄道経営概要 鉄道国有ノ方策ヲ論ズ
  • 11 第十七回帝国議会報告 明治三五年一綴 佐々先生口述筆記
  • 12五箇月党事一冊
  • 明治三六年一月ー二月 明治三七年二月ー三月 党務日録
  • 13 佐々友房宛 有地品之允書翰 明治三七年八月二五日一枚 帝国義勇艦隊建設令旨
  • 14 佐々友房君演説 明治三八年一綴 有斐倶楽部ニ於ケル演説速記録 〓(カ)
  • 15 佐々代議士ノ談話 明治三八年八月一綴 新聞切抜 日露戦争所感 清韓視察報告
  • 16 佐々友房宛 各派合同仮事務所書翰 明治三八年一二月一通 各派合同準備委員依嘱
  • 17 我等ノ回顧録 昭和九年九月二九枚九州日日新聞切抜 平山岩彦・緒方二三・深水清・阿部野利恭往時回想録
  • 七九、 紫溟会関係
  • 1 紫溟雑誌 第一号ー第三〇号 合一冊
  • 明治一五年三月一日ー明治一五年一二月二一日
  • 2 公同社大旨 明治一三年八月再編一綴 (「〓*紫溟会ノ部」ニ収ム)
  • 3 政党団結ノ趣旨一綴 紫溟会主旨(「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 4 紫溟会規則草案一綴 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 5 紫溟会仮規則 明治一四年九月活版一枚 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 6 紫溟会主旨并仮規則活版一冊 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 7 名誉会員名簿一枚 (「〓*紫溟会ノ部」ニ収ム)
  • 8 紫溟学舎費用請取控 明治一四年六月一綴
  • 9 壮年会規則 明治一七年一一月活版一枚 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 10 政党ヲ変シテ学会ト為ルノ主旨書一枚 草稿(「〓*紫溟会ノ部」ニ収ム)
  • 11 政党ヲ変シテ学会ト為スノ理由 付、紫溟学会内規一綴 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 12 紫溟学会ヲ設立スルノ趣旨一綴 (「〓*紫溟会ノ部」ニ収ム)
  • 13 紫溟学会規則草案 明治一七年二月一綴 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 14 紫溟学会ヲ設立スルノ大旨 付、紫溟学会員・熊本県会議員名録 明治一七年三月一綴
  • 15 紫溟学会ヲ整理統規スルノ趣旨一綴 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 16 紫溟学会議案二枚 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 17 紫溟学会規則 明治二一年二月 活版一枚 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 18 紫溟学会趣旨并規則 明治二一年二月一九日一冊 設立趣旨整理統規スルノ趣旨 規則
  • 19 紫溟学会主旨・名簿一綴 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 20 紫溟学会員一綴 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 21 戸田熊彦意見 明治二〇年一二月一八日一枚 (「〓*紫溟会ノ部」ニ収ム)
  • 22 佐々代議士の談話 明治二六年八月一五日 活版一枚 九州日日新聞付録(「〓*紫溟会ノ部」ニ収ム)
  • 八〇、 国権党関係鎮西館 I
  • 1 国権党ノ目的一枚 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 2 国権党規約 活版一枚 (「〓*国権党ニ関スル緊要書類」ニ収ム)
  • 3 国権党貯金規則 明治二五年 謄写一枚 (「〓*国権党ニ関スル緊要書類」ニ収ム)
  • 4 県下の同胞諸君に向ふて温和派の勝利を祝し且つ将来の注意を望む 明治二五年四月一〇日 活版一冊
  • 九州日日新聞付録(「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 5 熊本人士に謀るの書草稿 明治二六年四月一綴
  • 6 国権党ノ宣言 明治二八年一〇九日 活版一枚 九州日日新聞付録 (「〓*紫溟会ノ部」ニ収ム)
  • 7九州団体之意思 明治二五年六月一六日一綴 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 8 〓*鎮西館経済書類 明治三三年五月綴 合一綴
  • 明治二六年ー二八年各種会計書及ビ「経綸私見」粟津九郎・「経国策列記」・「拓殖出納予算」・「別法第二本館維持 法方」
  • 9 鎮西館関係会計書類一三枚 支出明細書 領収書 ソノ他 (「〓*国権党ニ関スル緊要書類」ニ収ム)
  • 10 熊本県ニ関スル諸調書類
  • イ、 熊本県出身者各種調査一綴
  • ロ、 書翰(成田定・吉岡範策・城末彦)調査報告添書 明治二六年三月三通
  • 11 熊本県政党勢力一覧表 明治二六年九月調 活版一枚 (「〓*紫溟会ノ部」ニ収ム)
  • 12 熊本県市町村会議員党勢比較表一綴 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 八一、 国権党関係 I(「〓*国権党ニ関スル緊要書類」ニ収メラレタル書翰)
  • 1 佐々友房宛 佐々布遠書翰 明治二五年三月一三日 副島入閣陸奥ノ後任 対議会策如何図南ノ入費送付依頼アリ如何ニスベキヤ 特別費ノ工面願ウ 阿蘇郡坂梨村社年 輩区会選挙ノ勝祝イニ竹田ヘ出掛ケ同封新聞切抜キノゴトキ騒ギ 見舞金持参惣代派遣
  • 2 佐々・古荘宛 河瀬文心書翰 明治二五年三月一五日 嘉悦氏房等吾党ノ球磨寄留ヲ妨害 党勢扶植ノ手段ハ移住ト金銭貸付ニアリ 町村申合規約 金策ノコト 〓(カ)
  • 3 佐々・古荘・有吉宛 佐々布・浅山・中津書翰 明治二五年三月一六日 市町村会議員準備進捗 鎮西館運動費ソノ他会計ノコト 〓(カ)
  • 4 佐々・古荘・有吉宛 中津・佐々布・浅山書翰 明治二五年三月一六日 「国会解散始末」出版費ノコト
  • 5 佐々・古荘・有吉・紫藤宛 佐々布・中津書翰 明治二五年三月一八日 品川・副島内務更迭ノ真相如何 各郡ヨリ選挙費跡尻請求 川瀬ノ図南費及ビ出版物印刷費金策願ウ
  • 6 佐々・古荘・有吉・紫藤宛 佐々布・中津書翰 明治二五年三月二〇日 温派団結成ルトノ新聞報道情況報告乞ウ八代ヨリ松尾ラ出熊運動費補填ノ請求ナリ 天草ノ運動費支出ノコト
  • 7 佐々友房宛 松尾純斎他三名書翰 明治二五年三月二二日
  • 八代地方運動費支出ニ関シ鎮西館ヘ指図アリタシ
  • 8 佐々・古荘・有吉・紫藤・長野宛 中津誠一郎他三名書翰 明治二五年三月二五日 市町村会議員改選切迫 運動資金金策願ウ
  • 9 佐々友房宛 浅山知定書翰 明治二五年四月一日 町村議員選挙県内各地ノ情勢報告
  • 10 佐々友房宛 中津誠一郎書翰 明治二五年四月二日 球磨郡好都合河瀬尽力ナレド運動員欠乏 河瀬引揚ゲノ口気至急金策ヲ乞ウ
  • 11 佐々・古荘宛 中津・右田・浅山・佐々布書翰 明治二五年七月一八日 会計報告付、計算書一通
  • 12 中津誠一郎宛 長野一誠書翰 明治二七年二月三〇日 会計計算書送付添書 付、計算書三通
  • 13 各代議士宛 浅山知定・右田喜七郎書翰 明治二八年二月八日
  • 八代郡運動費負債処理ニツイテ
  • 14 佐々友房・紫藤寛治宛 浅山知定書翰 明治二八年二月一〇日 借用金支出明細書添書
  • 15 各代議士宛 浅山知定・右田喜七郎書翰 明治二八年二月二八日 鎮西館負債償却方ニツイテ
  • 16 佐々友房宛 右田喜七郎書翰 明治二八年三月五日 粟津旅費送金遅延八代講加盟ノ件
  • 17 佐々友房宛 浅山知定書翰 明治二八年三月一五日 鎮西館負債ノ支弁焦眉ノ急ナリ熟考乞ウ
  • 18 右田喜七郎宛 長野一誠書翰 明治二八年三月一九日 御内家拝借金計算書
  • 19 佐々友房宛 松尾純斎書翰 明治年三月二四日 倶楽部新設目的ヲ達セリ 知事ヘ内報願ウ 山本等疎遠ノ形勢 運動費不足金請求ニ出熊 返債方御手配ヲ乞ウ
  • 20 佐々・古荘宛 浅山・右田・中津書翰 明治年六月一七日 町村会議員選挙ニ彼敗レ情勢激化 会長護衛並ビニ護身用ニピストルノ用意必要一二挺調達乞ウ
  • ナルベクヒカヒカ
  • シテ百姓ノ目ニックガヨシ
  • 21 佐々友房宛 粟津九郎書翰 明治年一二月九日 意見案送付添書
  • 22 佐々友房宛 戸沢泰臣書翰 明治 年 月 日 日清事件ニ際シ蚕糸業現地調査ノコト
  • 八二、 国民協会関係 I
  • 1 国民協会創立迄ノ情勢一綴 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 2 国民協会趣意書 明治二五年六月 活版一枚 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 3 国民協会仮規則活版一冊 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 4 国民協会趣旨・仮会則 活版一枚 (「〓*国民協会ニ関スル緊要書類」ニ収ム)
  • 5 第三議会ヲ評ス一綴 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 6 国民協会第六議会報告第一報ー第三報 明治二七年五月・六月 活版一枚
  • 7 第八議会報告国民協会 明治二八年四月 活版一冊 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 8 報告国民協会 明治二八年五月二四日 活版一枚 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 9 報告書国民協会 明治二八年八月 活版一冊 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 10 国民協会講究要目 明治二五年 蒟蒻版三綴
  • 一案 修正案二案 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 11 渡辺洪基意見 活版一枚 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 12 〔政論〕一通 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 13 政党論一綴 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 14 〔西郷会頭入閣挨拶要旨〕 明治二六年三月一三日 蒟蒻版一枚 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 八三、 国民協会関係 II
  • 1 国民協会拡張ニ関スル方略諸件 明治二五年一〇月二三日一綴 (「〓*国民協会創立草案類)ニ収ム)
  • 2 国民協会拡張ニ関スル鄙見 明治二五年一一月六日一綴 (「〓*国民協会創立草案類」「〓*国民協会ニ関スル緊要書類」ニ収ム)
  • 3 国民協会組織ニ関スル鄙見大要 明治二五年一一月八日一綴 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 4 国民協会拡張方針一枚 (「〓*国民協会ニ関スル緊要書類」ニ収ム)
  • 5 〔国民協会拡張案〕一枚 (「〓*国民協会ニ関スル緊要書類」ニ収ム)
  • 6 協会拡張経費概算一綴 (「〓*国民協会ニ関スル緊要書類」ニ収ム)
  • 7 〔国民協会各派〕一通 (「〓*国民協会ニ関スル緊要書類」ニ収ム)
  • 8 国民協会有志者決議 明治三二年三月二八日一枚 (「〓*国民協会ニ関スル緊要書類」ニ収ム)
  • 9 〔国民協会解散案〕 明治三二年三月七日一通 (「〓*国民協会ニ関スル緊要書類」ニ収ム)
  • 10 国民政社創立ノ理由・綱領一綴 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 11 〔国民政社論〕一綴 (「〓*国民協会創立草案類」ニ収ム)
  • 八四、 国民同盟会関係
  • 1 〓*国民同盟会書類 明治三五年九月二一日綴 合一綴
  • イ、 国民同盟会宣言 活版一枚
  • ロ、 国民同盟会発起会場に於ける近衛公の演説 活版一枚
  • ハ、 国民同盟会宣言・約款 活版一枚
  • ニ、 佐々友房演説会案内 活版一枚
  • ホ、 満州対策メモ一枚
  • ヘ、 覚書草案一綴 対露・清・韓策
  • ト、 佐々宛 国民同盟会書翰四月一六日一通
  • チ、 佐々宛 近衛篤麿書翰六月七日一通 集会案内
  • リ、 組織案二枚
  • ヌ、 電報 明治三三年一一月一五日ー一二月一〇日二三枚
  • ル、 清国ニ対スル善後策一通
  • オ、 佐々宛 米谷栄治書翰一一月二三日一通 讃岐来訪謝絶
  • ワ、 伊藤・山県宛 佐々書翰四月三日一通 旺康年書翰転送添書
  • カ、 佐々宛 国友書翰一二月一日一通 高松遊説ヲ説ク
  • ヨ、 佐々宛 竹村藤兵衛書翰一二月九日一通 講演依頼
  • タ、 石野幸太郎・阿蘇太一郎宛 森藤兵衛書翰一二月一〇日一通 欠席通知
  • レ、 佐々宛 志水吉太郎・福原謙七書翰一一月二三日一通 遊説依頼
  • ソ、 佐々宛 深尾竜三書翰一二月二日一通 大会準備報告
  • ツ、 佐々宛 某書翰一二月九日一通 岐阜・京阪地方会務連絡
  • ネ、 覚 明治三三年一二月五通 同盟会ノ趣旨・政策
  • 八五、 条約改正関係 I(「〓*条約改正ニ関スル書類」トシテ収納サレタルモノ)
  • 1 外国事務局長官伊藤俊介ヨリ神戸駐剳各国領事ヘ達セル書面 慶応四年三月七日一枚
  • 2 国是意見 明治二〇年一綴
  • 3 呈外務大臣意見書 井上毅 明治二〇年七月一二日一綴
  • 4 奉呈総理大臣閣下意見書 井上毅 明治二〇年七月一七日一綴
  • 5 元老院章程ニ関スル意見書 鳥尾小弥太他六名 明治二〇年九月一四日一綴
  • 6 条約改正意見書 明治二〇年九月二五日 草稿共三綴
  • 7 条約改正意見書 明治二二年七月一綴
  • 8 新条約案ニ対スル意見書 鳥尾小弥太 明治二二年八月一綴
  • 9 改正条約案ニ対スル意見手控 明治二二年八月 同文四綴 玄洋社 頭山満・紫溟会 佐々友房連名提出セシモノ
  • 10 条約改正問題檄文 紫溟学会 明治二二年八月二日 活版一枚
  • 11 条約改正意見書 東北十一県十五州有志総代 明治二二年九月九日一綴
  • 12 条約改正ニ関スル建言書九条道孝他一三名 明治二二年九月九日一綴
  • 13 条約改正反対建白書草案 明治二二年一〇月一綴 友房が高原淳次郎名ヲ以テ建白セシモノ
  • 14 〔条約改正ヲ論ズ〕 明治二二年一綴 経世評論社用紙ヲ用ウ 〓(カ)
  • 15 条約改正ニ関スル建議案 明治二五年 蒟蒻版一綴
  • 16 国際公法会ニ提出スヘキ経済事項調査ニ付募金略主意書 国家経済会 明治二五年三月活版一枚
  • 17 条約改正反対意見書一綴
  • 18 草稿条約改正反対意見書一綴
  • 19 条約改正ニ関スル朝野ノ景況一枚
  • 20 条約改正問題新聞切抜 明治二二年七月 活版一綴 報知新聞「条約改正の第一着手として日墨間の修好通商条約公布せらる」「条約改正の得失は一言にして尽すを得べ し」「名義論と得失論」
  • 21 条約改正問題新聞切抜 明治二二年七月三日ー一六日 活版一綴 郵便報知新聞「条約改正問答」
  • 22 条約改正問題新聞切抜 明治二二年七月九日ー八月一日 活版一綴 朝野新聞「改正条約の得失を論ず」「大臣論」
  • 23 条約改正問題新聞切抜 明治二二年七月一二ー三〇日 活版一綴 日本新聞「改正条約の大要」「外人の談を聞き法典編纂に感あリ」「報知新聞の条約改正論」「治外法権と内治干渉」
  • 八六、 条約改正関係 II
  • 1 外邦ノ美ヲ取ラント欲セハ先ツ自国ノ本領ヲ固守ス可シ一綴
  • 2 井上毅条約改正意見 明治二〇年七月一七日一綴
  • 3 条約改正会議延期ニ関スル訓令 司法大臣山田顕義 明治二〇年八月七日一綴
  • 4 秘録 明治二〇年八月一二日写一綴 谷干城条約改正意見
  • 5 秘録 明治二〇年一一月五日写一綴 板垣退助条約改正意見 明治二〇年八月二〇日
  • 6 河瀬英国公使意見書 明治二一年一二月一七日一綴 河瀬真孝条約改正意見
  • 7 条約改正反対意見書 明治二二年一綴
  • 8 条約改正意見集 活版一冊 谷干城意見書・板垣退助意見書・某意見書・林有造意見書・ボアソナード 裁判権ノ条約草按ニ関スル意見
  • 9 裁判所構成法実施延期ノ建白写 明治二三年九月一八日一綴 金尾稜厳・古荘嘉門・佐々友房・岡次郎太郎四議員連名
  • 10 各国土地所有権ヲ外人ニ与フルノ例一綴
  • シャル・アントワーヌ「外国人財産ノ得喪ニ関スル規定」一八七六年出版抄訳
  • 11 朝野新聞抜萃 日米貿易条約改正一綴
  • 明治一二年五月二五日記事
  • 12 条約改正問題新聞切抜 明治二〇年八月七日ー一一日 活版一綴 東京日日新聞社説「条約改正」
  • 八七、 朝鮮関係
  • 1 征韓論 明治六年二月一綴 豊公征韓ヲ賞恤ス
  • 2 木戸孝允意見書写 明治八年一〇月七日一通
  • 三条太政大臣宛 江華島事件ニ関スル意見書
  • 3 江華島事件関係 明治八年
  • イ、 征韓建白写 明治八年一一月一通
  • ロ、 朝鮮暴発ノ模様 明治八年一〇月一日一通
  • ハ、 朝野新聞記事写 明治八年九月三〇日一通
  • 4 朝鮮国金玉均日記 明治一七年一綴 甲申日録略抄
  • 5 故梧陰井上先生遺墨一巻 漢城条約前文草案 明治一八年一月
  • 6 朝鮮視察報告 住江常 明治年七月四日一綴 佐々宛 寄セラレタル朝鮮視察報告 明治二八年頃カ
  • 7一進会宣言書 光武九年 活版一枚
  • 八八、 中国関係
  • 1 当世の申包胥 鉄崑崙 明治二七年一二月二七日 活版一枚 日本新聞切抜 日清戦争処理ヲ論ズ
  • 2 露清間ノ秘密条約一綴 〓(ママ)一八九六〔明治二九年〕三月一七日ノースチイヤヘフルト通信
  • 3 東洋協会組織草案 明治三一年九月一通
  • 4 清国ニ於ケル肥後人 肥後生稿 明治三二年三月 活版一冊
  • 5 通信会趣旨 明治三一年七月 謄写一綴
  • 6 英国惣領事ツーレン及ビ小田切トノ談話メモ 明治三三年七月二通 小田切ハ上海総領事小田切万寿之助ナラン
  • 7 日清両国往復国書写 明治三三年六・七月一通 義和団事件ニ関スル往復文書
  • 8 〓*団匪事件ニ関スル諸家意見 明治三五年九月二二日綴 合一綴
  • イ、 軍事私見根津少佐私見抄記 明治三三年九月 活版一冊
  • ロ、 諸大家対外意見筆記富井政章・金井延・松崎蔵之助意見 明治三三年一〇月 活版一冊
  • ハ、 諸大家対外意見筆記 寺尾亨・戸水寛人・中村進午意見 明治三三年一〇月 活版一冊
  • ニ、 清国現未の形勢 根津一 活版一冊
  • ホ、 国民同盟会清国要人宛 漢文書翰写 謄写一綴
  • ヘ、 劉坤一大日本同盟会宛 返書写 謄写一綴
  • ト、 演説速記 根津一 謄写一綴
  • 9 建言書写一綴 孫多蓋他三名義和国事件ニツキ建言
  • 10 南清及長江一帯視察ノ概要 明治三七年二通 視察報告ノメモ
  • 11 筆談書類一袋 友房ノ両三度ニワタル中国・韓国渡航ニ際シ現地要人トノ筆談書片
  • 八九、 西南戦争関係
  • 1 佐々友房意見書写一綴
  • 明治七・八年期ノ意見書 佐々友房伝記資料トシテ提供サレタモノ
  • 2 佐々友房書翰写一綴
  • イ、 済々〓福井彦次郎・武藤厳男宛 明治二四年二月一一日
  • ロ、 佐々干城宛 明治八年二月一八日
  • ハ、 佐々干城宛 明治八年三月八日
  • ニ、 辞表等外二等出仕佐々友房 明治七年一一月四日
  • 3 時勢論 明治九年一綴 (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 4 自誓書 明治九年七月一綴 時勢論トトモニ戦抱日記収録 自誓書ハ池辺吉十郎草スル所トナス (「〓*十年戦役主旨、紫溟会、紫溟学会、壮年会、国権党其他主旨規則」ニ収ム)
  • 5 上西郷大将書 明治一〇年一綴
  • 6 西南戦役関係地図一三枚 熊本・人吉・宮崎・延岡周辺地図
  • 7 営中日誌上・中巻 明治一〇年二綴
  • 明治一〇年二月・三月・四月・五月日記
  • 8 延岡病舎上家大厳家玉慈書 明治一〇年一〇月二五日一綴
  • 9 獄窓随筆 明治一一年二月一綴
  • 10 遭難漫稿 第一冊ー第四冊 明治一一年四綴 友房在囚中ノ詩文
  • 11 戦中詠草 明治一二年六月二〇日一綴
  • 12 囚中詠草稿 明治一三年八月一綴
  • 13 硝雲弾雨一斑序 副島種臣筆 明治一七年一巻
  • 14 硝雲弾雨一斑 巻之上一綴 友房出自 藩内形勢ヲ述ブ 正硝雲弾雨文稿一綴
  • 16 硝雲弾雨詩稿四種四綴 付、中山直硝雲弾雨評
  • 17 硝烟弾雨一斑 乾・坤 明治一二・一三年二綴 戦袍日記原稿
  • 18 戦袍日記草稿二種二綴
  • 19 戦袍日記 上巻 草稿二種二綴
  • 20 戦袍日記 関係断片六点
  • 21 佐々友房氏の悪人感化談一綴
  • 明治十年獄中ニ於ケル体験談
  • 九〇、 教育関係 規定国友昌 明治四年八月一日一枚 →三二 国友塾規定
  • 1 同心学舎創立ノ初メ同志ノ人ニ対エタル談話一綴
  • 2 同心学舎建設趣意書・仮通則・仮舎則・学則・私立中学済々〓創立規則 昭和六年三月 活版一綴
  • 五十周年記念出版物
  • 3 有斐学舎御寄附金受取通 明治一五年一〇月一綴
  • 4九州高等中学校設立希望私案一綴
  • 5 熊本県育英会 明治二七年三月
  • イ、 熊本県育英会設立趣旨書 蒟蒻版一綴
  • ロ、 熊本県育英会規則 蒟蒻版一綴
  • 6 肥後育英会 明治二七年三月
  • イ、 肥後育英会設立趣旨並会則〔案〕 活版・鉛筆書入レ一冊
  • ロ、 肥後育英会設立趣旨並会則 蒟蒻版一綴
  • ハ、 肥後育英会発起人 活版二枚
  • 7 済々〓維持金ノ事ニ付富岡知事ト関係ノ〓顛末ヲ記ス 明治二〇年七月二六日一綴
  • 8九州学院関係書類
  • イ、九州学院評議会規則一綴
  • ロ、 評議会録事 明治二六年一一月一綴
  • ハ、九州学院ヲ県立尋常中学ニ改メラレ度儀ニ付願 明治二六年一一月一綴
  • ニ、九州学院職員名簿一綴
  • ホ、 第四回卒業生名録 明治二八年四月五日一綴
  • 9 済々〓一覧
  • イ、 済々〓一覧 従明治二二年至明治二三年 活版一冊
  • ロ、 熊本県尋常中学済々〓規則 活版一枚
  • ハ、 熊本済々〓集金第一回半年度概表 明治一九年四月 活版一枚
  • ニ、 済々〓規則修正一枚
  • ホ、 明治二七年新入学者調一綴
  • 10 済々〓歴史佐々友房 明治二一年五月二八日 活版一冊
  • 11 多士 活版三冊 済々〓々友会誌 第二五回恩賜記念号・第五二号故井芹先生記念号・第六一号佐々井芹両先生胸像除幕式記念号
  • 12 諸中学経済概要 明治二八年二月一綴 豊津・福岡修〓猷館・佐賀・久留米・柳川・大村、長崎・平戸猶興館各中学視察書
  • 13 国民教育実施ニ関スル卑見 明治二四年一綴
  • 14 貧児寮設立主旨及雑件 明治二五年 活版一冊 塘林虎五郎設立
  • 15 〓*教育上ノ演説一袋
  • イ、 第五高等中学校ノ設置一綴
  • ロ、 徴兵令改正二就テノ演説一綴
  • ハ、 郷党教育一綴
  • ニ、 雑話〔済々〓離校時ノ談話〕一綴
  • 16 教育家ノ資格一綴 講演筆記
  • 九一、 日記、手帳
  • 1 懐中手帳 明治一一・一二年 囚中日記一冊
  • 2 懐中手帳 明治一七年上京日記他一冊
  • 3 懐中手帳 明治一八年陸軍大演習記事他一冊 〓(カ)
  • 4 懐中手帳 明治二〇年一冊
  • 5 懐中手帳 明治二二年 東北旅行日記他一冊
  • 6 懐中手帳 明治二六年 朝鮮旅行日記他一冊
  • 7 懐中手帳 明治三〇年一冊 〓(カ)
  • 8 懐中手帳 明治三一年一冊 〓(カ)
  • 9 懐中手帳 明治三四年 山陰紀行他一冊
  • 10 懐中手帳 明治三五年一冊 〓(カ)
  • 11 懐中手帳 明治三六年一冊
  • 12 懐中手帳 明治三七年 南・中清旅行日記他一冊
  • 13 懐中手帳 明治三七年一冊
  • 14 懐中手帳 明治三九年一冊
  • 15 懐中手帳 年時不明一冊
  • 16 日記 明治三〇年一冊 当用日記コノ年友房欧米ヲ旅行セリ
  • ソノ記事日記中ニアリ
  • 17 日記 明治三三年一冊 当用日記 清国渡航記事
  • 九二、 紀行
  • 1 東行日録 明治七・八年一綴
  • 明治七年発途 上京 水戸滞留間ノ日記 及ビ交遊名録 金銭出納
  • 2 南行記 明治一〇年一綴 友房池辺吉十郎ニ同行 鹿児島行ニ於ケル日記並ニ「過耳及目撃録」詩歌
  • 3 辛巳東行日記 明治一四・一五年一綴 甲州路経由帰県日記 及ビ「壬午南行日記」鹿児島三州社訪問
  • 4 明治一七年東遊記 明治一七年一綴 東京ヨリ甲州路経由帰県日記 及ビ「滬上溝記」金銭出納
  • 5 両球紀行 明治三〇年二月一綴 欧米旅行出発ノタメ帰郷記事
  • 6 両球紀行附録 明治三〇年一綴
  • 明治三〇年欧米旅行ニ際シ時務観 並ビニ旅行中ノ見聞ト諸家意見
  • 7 甲辰清韓紀行 明治三七年一〇月一綴 出発カラ台湾ニ至ルマデノ日記 雑記
  • 8 南清五十八日紀行 明治三七年 活版一綴 新聞切抜
  • 9 大陸漫遊記 山道亜川 活版一綴 佐々友房一行ノ明治三八年六月一四日ヨリ九月二六日ニ亘ル韓国・満洲・北清巡遊ノ随行記 新聞切抜
  • 九三、 詩文稿
  • 1 硯田耕種一綴 佳句集
  • 2 東陽文園 明治八年一綴
  • 明治七年友房上京時ノ詩文
  • 3 触耳則記 明治八年一綴
  • 明治八年上京中ノ詩文 雑記
  • 4 三幸一不幸説 明治七年五月一綴
  • 5 東陽漫録 明治七年一綴 佐々友房文集
  • 6 文稿 明治四年ー一六年一綴 論説 上表 墓碑銘
  • ソノ他
  • 7 観風詩稿 明治三〇年一二月二種二冊
  • 8 観風詩史 草稿 明治三二・三三年三種三冊
  • 9 観風詩史 序文 明治三二・三三年三枚 草稿・ゲラ刷リ
  • 10 観風詩史
  • ゲラ刷 明治三三年一綴
  • 11 詩稿九綴 甲申游草 山陰游草
  • ソノ他
  • 12 雑記並人名録 明治三〇年一綴 欧米旅行中詩稿及ビ人名控
  • 13五十八日詩艸 明治三七年一二月一日一綴 南清旅行中ノ詩稿
  • 14 甲辰紀行詩稿 明治三七・三八年一綴 「甲辰清韓游記」「乙巳初夏詩稿」
  • 15 清韓游草 上・下巻 明治三七・三八年二種四冊 上巻 明治三七年 南清旅行詩稿 下巻 明治三八年 韓国・南満・北清旅行詩稿
  • 16 雑詩稿一三点 自作・他作詩
  • 17 雑一袋 反故 草稿断片
  • ソノ他
  • 18 歌稿二枚 烏賊説・明治癸未為予六十一初度酔後漫書所懐以示児輩 国友昌三二
  • 九四、 佐々友房辞令、通達類
  • 1 正月一一日 佐々寅雄宛 簗瀬騏兵衛・加賀山権内 明後一三日講後総教衆云々
  • 2 元治二年正月一三日 佐々寅雄 句読習書出精云々
  • 3 慶応二年一一月一三日 佐々寅雄 句読習書出精云々
  • 4 明治二年一二月七日 佐々坤次宛 福田十郎右衛門 申達儀有之〓時習館出頭
  • 5 明治二年一二月九日 佐々坤次宛 時習館居寮仰付
  • 6三月八日 佐々陸助宛 松野孫三郎 其元二男佐々坤次儀身分伺云々
  • 7 明治三年三月一六日 佐々陸助宛 松野孫三郎 其元二男佐々坤次儀新従四位様御帰坐之節不敬云々
  • 8 明治三年六月五日 佐々坤次宛 福田十郎右衛門・中津海平之進 時習館居寮免
  • 9 明治三年六月一二日 佐々陸助宛 岩越半兵衛 其元二男佐々坤次儀時習館居寮云々
  • 10 明治三年六月一二日 高原淳次郎宛 岩越半兵衛 拙者隊佐々陸助二男佐々坤次儀時習館云々
  • 11 明治七年八月二五日 戸長宇野幸九郎宛 白川県 佐々友房陸軍士官検査取消
  • 12 明治七年一〇月四日 佐々友房宛 白川県 等外二等出仕申付候事
  • 13 明治七年一〇月四日 佐々友房宛 白川県 庶務課申付候事
  • 14 明治七年一一月二日 佐々友房宛 白川県 御用候条〓代人差出
  • 15 明治七年一一月四日 佐々友房宛 白川県 出仕免
  • 16 明治一三年二月一三日 佐々友房宛 熊本県 放免申渡
  • 17 明治一八年一二月八日 佐々友房宛 済々〓 幹事依頼
  • 18 明治一九年二月一二日 佐々友房宛 振武会 幹事依頼
  • 19 明治一九年九月 佐々友房宛 済々〓 幹事依頼
  • 九五、 佐々友房衆議院議員之証及ビ当選証書
  • 1 明治二三年七月一四日 衆議院議員之証
  • 2 明治二五年二月二四日 〃
  • 3 明治二七年三月一七日 〃
  • 4 明治二七年九月一九日 〃
  • 5 明治三一年三月三一日 〃
  • 6 明治三一年八月三〇日 〃
  • 7 明治三五年九月四日 衆議院議員当選証書
  • 8 明治三六年三月一二日 〃
  • 9 明治三七年三月八日 〃
  • 九六、 写本、雑
  • 1 家系関係
  • イ、 佐々一衛書翰一通
  • ロ、 佐々成義書翰二通
  • ハ、 狩野友彦書翰一通
  • ニ、 寺門誠書翰一通
  • 2 送辞・短冊一袋
  • 3 写本類一
  • イ、 懲窒録 国友昌編一綴
  • ロ、 先代旧事本記 南洋外史写一綴
  • ハ、 人倫大意一綴
  • ニ、 後光明帝御事略一綴
  • 4 写本類二
  • イ、 注釈象山佐久間先生桜賦一綴
  • ロ、 柳子新論一綴
  • ハ、 大東敵懐忠義編富田太鳳一綴
  • 5 写本類三
  • イ、 朝な夕な序一綴
  • ロ、 秘書 林桜園日記写一綴
  • ハ、二天記一綴
  • 6 墓碑銘写
  • イ、 書菊池正観公碑陰一綴
  • ロ、 松野直鎮墓表一枚
  • ハ、 武陵守田翁墓碣銘一綴
  • ニ、 新田義貞公墳墓地五倫及碑銘一綴
  • 7 博泉先生文章十訣 水足博泉 文政八年写一綴
  • 8 銀台遺事 上・中・下三綴
  • 9 東湖先生遺文一綴
  • 10 常陸帯 上・下二綴
  • 11 錦旗物語 野見鐸次郎 明治二六年五月一冊 旧幕臣 慶応四年東征軍ニ投ジタル筆者ノ回想記
  • 12 恰渓抄一綴
  • 13 茶礼大意問答一綴
  • 14 茶道書 宗普 文政二年八月一綴
  • 佐佐友房略年譜
  • 安政元年(一八五四)一歳
  • 一月二三日 熊本坪井町に生る 熊本藩士(家禄百石)佐々陸助次男 幼名寅雄又坤次 後友房と通称す
  • 字亮卿 号初め東陽後克堂又鵬洲(兄干城妹光子弟正之あり)
  • 明治二年一六歳
  • 時習館居寮生(達書)
  • 明治四年一八歳
  • 時習館廃止 惜陰舎を開く
  • 明治七年二一歳
  • 二月 佐賀の乱三月一日鎮定
  • 四月 台湾征討
  • 一〇月四日 白川県等外二等出仕庶務課勤務
  • 一一月四日 白川県等外二等出仕免
  • 一二月二五日 東京ヘ向け発途 博多よリ海路三一日神戸着
  • (東行日録)
  • 明治八年二二歳
  • 一月四日 神戸乗船
  • 六日 東京着 呉服橋三河に投ず(東行日録)
  • 二月 叔父高原淳次郎宮内省十等出仕
  • 五月 水戸に游ぶ 山田信道宅に寄寓 滞留一〇月に至る(東行日録)
  • 明治九年二三歳
  • 四月 熊本に帰る(営中日誌)時勢論一篇を著す
  • 一〇月二四日 神風連 挙兵
  • 明治一〇年二四歳
  • 一月五日 友房 池辺吉十郎と鹿児島に赴き 村田新八と会談
  • 一月一六日 友房 池辺吉十郎 松浦新吉郎 桜田惣四郎 山崎定平 大里八郎 友成正雄等と会合し 友房薩行報告
  • 二月一五日 鹿児島私学徒挙兵
  • 二月一二日 協同隊(熊本民権党)挙兵 平川惟一 宮崎八郎等
  • 二月二二日 熊本隊(学校党)挙兵 大隊長 池辺吉十郎・副大隊長 松浦新吉郎・参謀 桜田惣四郎・緒方夫門・大里八郎・山崎定平・宮川沖 友房敵愾隊長たり
  • 八月二日 高鍋付近にて銃創を受く
  • 八月一七日 熊本隊降伏 友房延岡病舎に収容せらる
  • 一〇月二二日 除族懲役十年の刑に処せらる(遭難漫稿)
  • 明治二年二五歳
  • 一月 創痍癒ゆ
  • 五月 大島懲役場に移植
  • この月 相愛社(民権党)創立社長池松豊記・副社長 有馬源内
  • 明治一二年二六歳
  • 一月二四日 責付出獄 熊本砂取町の自宅に帰る
  • 五月 熊本県会成立 初代県会議長木下助之
  • 七月一八日 父陸助死去五七歳
  • 一二月五日 熊本高田原相撲町に同志と同心学舎開校 舎長柏原武
  • 明治一三年二七歳
  • 二月一三日 廃疾の故を以て放免
  • 六月 丸山作楽 熊本に来る九州団結の事を謀リ議合わず(辛巳東行日記)
  • 八月 県令富岡敬明の首唱で熊本有志懇親会忘再会結成 幹事 富岡敬明・島義之・白木為直・松崎迪・山田武甫・嘉悦氏房
  • 一一月一二日 母飯田氏綾死去五二歳
  • 明治一四年二八歳
  • 一月 同心学舎を改組 同心学校と改名 校長 宮川貞衛一二月閉校
  • 二月 友房上京(辛巳東行日記)
  • 五月 山田信道・高橋長秋・古荘嘉門・安場保和・井上毅等と謀り政党団結の意志統合
  • 八月 兄干城特典を以て放免せらる
  • 九月一日 新町忘吾会場にて紫溟会結成
  • 一〇月 東肥新報(後に九州新聞・民権党系)発行
  • 一一月一三日 嘉悦氏房・山田武甫等(横井派実学党員二〇余)紫溟会離脱
  • 一二月七日 東京発帰県の途に就く 甲州路経由(辛巳東行日記)
  • 明治一五年二九歳
  • 二月九日 立憲自由党(実学党)と相愛社合同して 公議政党創立 幹事 山田武甫・嘉悦氏房・宮川房之・池松豊記・高田露・松山守善
  • 二月一一日 同心学舎を済々〓と改名済々〓開校式挙行
  • 三月一日 紫溟雑誌第一号刊行 社長 津田静一・編集人高橋長秋・主筆 中西牛郎
  • 三月一〇日 阿蘇商社において政党組織の連合委員会開催
  • 三月一一日九州改進党結成 加盟団体 熊本・公議政党福岡・玄洋社 立憲帝政党 柳河朋会 鹿児島
  • ・自治派公友会三州社 博愛社 佐賀・佐賀開進会 唐津先憂社
  • 七月一日 鹿児島に赴き三州社河野主一郎と会談 同行有吉平吉(壬午南行日記)
  • 七月二三日 朝鮮・壬午の変 日本公使館襲撃さる
  • 八月七日 紫溟新報第一号発刊(後九州日日新聞と改称)
  • 一二月 紫溟雑誌三〇号廃刊
  • 明治一六年三〇歳
  • 一月 相愛社(民権派)解散 勧善会結成
  • 五月二一日 済々〓に宮内省下賜金五〇〇円下付
  • 七月 鹿児島において九州改進党大会開催
  • 明治一七年三一歳
  • 三月 紫溟学会設立
  • 四月二日 出発海路上京(備忘録)
  • 五月九州改進党博多にて大会開催 この月新聞集会諸条令及政社法発布政党結社に対する圧迫により解党
  • 六月一八日 東京発甲州路経由帰県 同行安達謙蔵(東游記)この月 清仏安南問題を緯って衝突
  • 一〇月一五日 国友昌死去
  • 一〇月二七日 上海旅行の途に上る 同行宗方小太郎・佐野直喜上海にて樽井藤吉・井上陳政・曾根俊虎等に会う一二月二〇日長崎帰着(滬上游記)
  • 一二月 朝鮮・甲申の変
  • この年「硝煙弾雨一斑」私家版出版
  • 明治一八年三二歳
  • 一月 漢城条約「明治一七年京城暴徒事変に関する日韓善後約定」締結〓(カ)
  • 三月一三日 (鎌田景弼書翰)結婚 国友昌次女静子(明治二年一二月一五日生)
  • 四月 長岡護美を中心に在京熊本出身官吏七〇余名会し済々〓維持策を謀る
  • 四月一八日 天津条約締結
  • 明治二〇年三四歳
  • 一月 文部大臣森有礼九州巡視の途次済々〓視察
  • 二月 友房上京 済々〓維持につき協議
  • 三月 友房済々〓長となる
  • 七月二四日 済々〓に関し富岡知事と意見齟齬再度上京
  • 明治二一年三五歳
  • 五月一日 済々〓付属女学校開校
  • 八月八日 長男信一誕生
  • 一〇月 紫溟新報を発展九州日日新聞刊行
  • この年済々〓長の任を木村弦雄に譲り政界に投ず
  • 兄干城再び家を維ぎ士族に復す
  • 明治二二年三六歳
  • 一月 紫溟会改組 世務部に熊本国権党設立
  • 二月九州改進党復活 海西日報(民権派)発行
  • 二月一五日 国権党三大綱領発表
  • 三月一二日 済々〓長を辞し東上
  • 五月二一日 谷干城・柴四朗と同行東北遊説
  • 八月 条約改正案不可を論じ谷干城・浅野長勲・三浦梧楼・柴四朗・杉浦重剛等と日本倶楽部(非政社団体)を設立、改正中止により一〇月解散
  • 明治二三年三七歳
  • 四月九州同志連合会(民権派)組織 この頃熊本改進党を名のる
  • 七月一日 衆議院第一回総選挙 熊本県第一区当選
  • 熊本県当選者 国権党・佐々友房 前田案山子 木下助之 古荘嘉門 紫藤寛治 岡次郎太郎 熊本改進党・山田武甫 松山守善
  • 九月 立憲自由党結成に熊本改進党参加 山田武甫議長
  • 荒尾精上海に日清貿易研究所設立
  • 長女淑子誕生(翌年九月一二日)夭死
  • 明治二四年三八歳
  • 一〇月九州学院認可設立(済々〓・私立法律学校・春雨校・文学館合併)
  • 明治二五年三九歳
  • 二月一五日 衆議院選挙第二回 熊本県第一区当選
  • 六月二二日 国民協会結成 会頭 西郷従道・副会頭 品川弥二郎
  • 一二月五日 次女鶴子誕生
  • 明治二六年四〇歳
  • 五月五日 門司出帆韓国渡航 同行弟正之 安達謙蔵 一
  • 一日京城着六月一〇日下関帰着 行中大石公使 河野広中等及び清国公使衰世凱 大院君と往来
  • この年 神鞭知常 安部井盤根等と大日本協会を組織
  • 明治二七年四一歳
  • 三月一日 衆議院選挙第三回 熊本県第一区当選
  • 四月一日九州学院普通学部を分離尋常中学済々〓とする
  • 九月一日 衆議院選挙第四回 熊本県第一区当選
  • 明治二八年四二歳
  • 三月二三日 次男国雄誕生
  • 六月 山陰地方遊説
  • 一〇月八日韓 国王妃事変三浦梧楼・安達謙蔵ら広島投獄
  • 明治二九年四三歳
  • 叔父高原淳次郎没
  • 明治三〇年四四歳
  • 一月二三日三男弘雄誕生
  • 二月二〇日 欧米に遊ばんとして帰郷
  • 三月一四日 長崎出港上海・香港・シンガポール・コロンボ経由 五月八日マルセーユ着 仏・独・露・英・米をめぐり一二月帰着
  • 明治三一年四五歳
  • 三月一五日 衆議院選挙第五回 熊本県第一区当選
  • 八月一〇日 衆議院選挙第六回 熊本県第一区当選
  • 明治三二年四六歳
  • 五月一七日四男毅雄誕生
  • 五月 山陰旅行(山陰游草)
  • 七月四日 国民協会解散
  • 七月五日 帝国党結成
  • 九月三日 帝国党島根支部松江にて発会式 友房出席
  • 明治三三年四七歳
  • 七月八日 門司出発 上海渡航 この行中李鴻章と会談
  • 七月三〇日 長崎帰着
  • 八月 熊本改進党政友会に吸収さる
  • 九月二四日 国民同盟会創立
  • 明治三四年四八歳
  • 一月一一日五男重雄誕生
  • 明治三五年四九歳
  • 四月二七日 国民同盟会解散
  • 八月一〇日 衆議院選挙第七回 熊本県郡部当選
  • 明治三六年五〇歳
  • 三月一日 衆議院選挙第八回 熊本県郡部当選
  • 明治三七年五一歳
  • 三月一日 衆議院選挙第九回 熊本県郡部当選
  • 一〇月一三日 門司出航台湾・南清・長江一帯視察 この行
  • 中姚文藻・葉徳輝・張之洞等に面談
  • 明治三八年五二歳
  • 六月一四日 熊本発 韓国南満及び北清各地巡歴九月 二
  • 六日門司帰着
  • この年 大同倶楽部組織
  • 明治三九年五三歳
  • 九月二八日 死去

本文ここまで

Copyright © 2012 National Diet Library. All Rights Reserved.

フッター ここまで